epilogue

 昔々、人間が仲良く暮らしていた世界に、突如魔王と呼ばれる者が現れました。
 魔王はその強大な力で人間を捻じ伏せ、地上に城まで建てて踏ん反り返りました。
 人々は魔王が世界中に放った魔物に怯え、村から村へ移動することにも危険が伴うようになりました。
 そんな世界を救わんと、勇敢な志を持ったある一人の人間が、魔王を倒すべく立ち上がりました。
 人間は志同じくする仲間と共に多くの魔物を斬り捨て、遂に魔王を倒しました。
 世界に平和をもたらしたその人間は勇者と呼ばれ、人々は幸せに暮らしました。


  *


「ねえ、先生。もうその話は飽きました」
 金髪の少年がつんと唇を尖らせた。
 先生と呼ばれた男は困ったと言わんばかりに眉尻を下げ、苦笑を零す。
「飽きたと仰られてもですね。これはとても大事なお話なのです。陛下からもちゃんとお教えするよう仰せつかっております」
「魔王がかつてどんな存在であったか。魔物がどれほどの脅威であったか。魔物による被害や対策。もう全て覚えました。――魔王から人類を救った勇者がいかに素晴らしい存在であるかも」
 耳にたこができる、と少年は顔を歪めるが、教師は苦笑を深めるだけで引き下がる様子はない。
 どうしたものか。お互いじっと様子を窺ったまま考えていると、どこからか慌しい足音が聞こえてきた。足音は徐々に近づいてくる。不思議に思って少年が扉の方を振り返れば、足音が扉の前で止まり、ノックもなしに扉が開け放たれた。
「セシル!!」
「えっ!? は、はい父上!」
 怒鳴るように少年の名を呼んで入ってきたのは、藍色の髪にバイオレットの瞳を持つ男――エリオットである。
 びくりと背筋を伸ばしたセシルの後ろで、教師も慌てて姿勢を正す。本来ならば王子の居室に許可もなく押し入った事を叱責すべきなのだが、それも国王陛下その人となれば別である。
 何やら焦燥感漂わせるエリオットは、どきどきしながら言葉を待つ息子を見て一度舌打ちした。
「セシル。お前、フィオナがどこへ行ったか知らないか?」
「え……、は、母上、ですか? いえ、わかりません……母上がどうかされましたか?」
「どうもこうもない。あいつ、執務の合間を縫って顔を出してやったのに部屋にいなかった……くそ、大人しくじっと堪えていろと何度も言ったのに」
 我慢の限界だったか……とセシルは内心苦笑する。
「母上の侍女は? 部屋の前には衛兵もいたはずでは?」
「侍女は眠っているし衛兵にいたっては縛り上げられていた。……絶対クラリッサとダレルだな。あいつらはすぐフィオナを甘やかす……」
「父上こそ大概過保護ですよ」
「俺はいいんだ」
 さらりと惚気るな、とは言えず、「そうですか」と頷いておく。
 するとエリオットが机の上にある書物を覗き込んで、苦虫を噛み潰したような顔をした。苦い顔のまま頭を撫でてくる。意味がわからない。
「お前はよく勉強するな。俺と違って真面目な奴だ。母親もこの有様なのに、一体誰に似たんだか……このまま真面目に育てよ」
「父上も同じ勉強をしたのでしょう?」
「ああ、した。だが理由が不純だからな。お前は俺みたいな国王にはなるなよ」
 セシルは首を傾げる。尊敬する父のようになってはいけないとはどういう事だろう。
 苦笑するエリオットに尋ねようとして、……再びノックもなしに扉が開かれた。
「セシル? まだ勉強……げ」
「愛しい夫の顔を見て随分な顔だな? フィオナ」
 入ってきた母が今度は顔を歪める番だった。対して探していたフィオナを見つけたエリオットは楽しげだ。
「くそ、まだバレてないと思ったのに……」
「休憩に入ったらすぐ部屋に行くと言っただろう。なんで大人しく部屋にいなかった?」
「もう二日も部屋から出てないんだぞ? 医師も適度な運動はいいとか言ってたのに。だからセシルと手合わせでもしようかと」
「それが適度な運動な訳があるか馬鹿! だからお前を部屋から出したくないんだ! どこで暴れるかわからん!」
 ドンッとエリオットが机を叩いた。それにはセシルも激しく同意する。
 庶民の出である母のお陰で貴族からの風当たりがきつかったりもするのだが、それは本当にごく一部で、今のところ苦など感じずに過ごせている。庶民を母に持つ王子なのだから、もっと冷遇されてもおかしくないと思うのだけれど、そこは子供にはまだわからない理由があるのかもしれない。
 フィオナは庶民であったからか、貴族令嬢とは全く違う。セシルと剣術や体術の手合わせをするのが気に入っているらしく、もう何度負かされたか知れない。
 セシルも母親との手合わせは好きなのだが、それもしばらくはお預けにしなければならない。
「母上。お気持ちはわかりますが、過度な運動はお腹の中の子が驚いてしまいますよ。せめて、庭園の散策にとどめておいた方がよろしいのではないですか?」
「セシルの言う通りだ。サイラスが呼びにくるまで一緒に散策しよう」
「えぇえ……じゃあセシルも一緒に行こう」
「俺と二人きりは嫌なのか」
「絶対に触らない約束をするなら」
 ぐっと押し黙ったエリオットを冷たく一瞥し、フィオナはセシルを見る。お誘いは嬉しいのだが、まだ勉強の時間である。
 困って傍に控える教師を見遣ると、全てを察したエリオットが「構わん」と手を振った。
「セシルにも休憩が必要だ。それに『勇者様のお話』なら俺が聞かせてやろう」
「……そんなもの聞かせてるのか」
「父上、それじゃ休憩になりません。耳にたこができそうです」
 セシルの勉強は難しくて理解不能だと興味を示さないフィオナは初耳だったのだろう、戸惑ったような呆れたような顔をしている。
 セシルはもううんざりだという気分を隠しもせずに首を振った。エリオットはにやりと口を歪める。
「じゃあこれで最後にしよう。何か勇者様について聞いてみたい事はないのか?」
「おい、エリオット!」
「本当ですか? それじゃあ、ええっと」
 フィオナがなぜか慌てた様子でエリオットに詰め寄るが、最後だと聞いて舞い上がったセシルは気づかない。最後ならば、と一生懸命質問を考えた。
「あの、父上。『勇者様のお話』では魔王が倒され、人類は幸せに暮らしました。それでは、姿を消した勇者様は幸せになれたのでしょうか?」
「ほう。予想外なところをついてきたな。さあな、俺にはわからん。……フィオナはどう思う?」
 真面目腐った顔つきのエリオットに振られ、フィオナはぎょっとする。その反応にエリオットが口角を持ち上げると、フィオナはほんのりと頬を染めて彼から目をそらした。
「……幸せだよ。旅はきっと大変だったし、辛い事もたくさんあったし。魔王を倒してからも苦しい事とかムカつく事とか、いっぱいあったと思う。でも、きっと、……絶対幸せになれたよ」
 ぼやくような答えであったが、エリオットが満足げに笑う。
「らしいぞ。さて疑問も解消したところで、家族仲よく散策に行こうか。楽しい楽しい『勇者様のお話』つきだ」
「はっ!?」
「ええっ! 父上、話が違います!」
「これで終わりのこれは、散策の事だ。最後は俺が聞かせてやろう。ほら、行くぞ」
「やめろ! 離せ馬鹿! ――っこの馬鹿国王!!」
 エリオットの大きな手がフィオナとセシルの手を引き、部屋を出る。
 暖かな光がさす廊下には、賑やかな声が響いた。


  *


 昔々、人間が仲良く暮らしていた世界に、突如魔王と呼ばれる者が現れました。
 魔王はその強大な力で人間を捻じ伏せ、人々は魔物に怯え暮らすようになりました。
 そんな世界を救わんと、勇敢な志を持ったある一人の人間が、魔王を倒すべく立ち上がりました。
 人間は志同じくする仲間と共に多くの魔物を斬り捨て、遂に魔王を倒しました。
 世界に平和をもたらしたその人間は勇者と呼ばれ、人々は幸せに暮らしました。

 そして祖国に戻った勇者は、祖国の王子に求婚され、紆余曲折を経てなんとか結ばれました。
 勇者は王子や仲間と共に、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。
 めでたしめでたし。


〈完〉
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