告白と権利

「……私は、ずっと怖かった」
 ぽつり、フィオナの小さな声が落ちる。
 僅かに見開いた宝石のような瞳から逃れるように、フィオナはほんの少し俯いた。
「母さんと父さんが死んで、いつか、ダレル達もいなくなるんじゃないかって怖かった。いつか、また魔物が襲ってくるんじゃないかって怖かった。……いつか、本当に一人ぼっちになるんじゃないかって、ずっと怖かったんだ」
 風にさらわれてしまいそうなほど小さな声で呟く彼女を、エリオットはただ見つめる。
 フィオナはぐっと拳を握った。
「認めるよ、私は臆病者だ。いくら体が成長しても、虚勢を張るただの子供だ。旅に二人がついてきてくれて嬉しかったけど、それ以上に二人が危険に晒されるのが怖かった。魔物と遭遇する度に母さん達の事を思い出して、憎しみに飲まれてしまいそうで怖かった。帰ってきても、今までと環境が変わって、ダレル達が離れていっちゃうんじゃないかって……そんな事を考えた事だってある」
 二十年と少しの間、フィオナにはさまざまな出来事があった。
 しかし、ダレルとクラリッサだけは、いつだって変わらずに傍にいてくれた。
 クラリッサはフィオナ達に救われたと言うが、本当は違う。救われたのはフィオナの方だ。二人がいたから、フィオナは今でもこうして変わらずに立っていられる。
 不変などありえないと理解していても、その不変をこれからも願わずにはいられなかった。
「……だから、最初、私はお前の事も怖かったんだ。お前は私達を、私を違う世界に連れ込もうとする。でもお前はいい奴だから、一緒にいるのも楽しかったし、すぐにそんな恐怖は薄れた」
 半年余りの日々が自然と蘇る。
 どうでもいいような下らない押し問答をして、抱きしめられては鳩尾に拳をぶち込んで。ダレルやクラリッサと比べれば全然浅い付き合いでしかないけれど、それでも純粋に笑いあえた。
 フィオナは僅かに唇を噛み、顔を上げる。バイオレットの瞳をまっすぐに見据えた。
「エリオット、私はお前と気が置けない仲になれたと思ってる。庶民の私が何を言うんだと思われても仕方ないが、お前とは友人になれたと思っていた」
「……フィオナ」
「でも、本当はそうじゃなかった」
 彼の瞳が切なげに揺れる。
 そこにどんな感情が映っているのかわかって、フィオナは顔を歪めそうになるのを堪えた。
「私は、お前は友人だと思い込もうとしていた。お前の事は好きだけど、何かが違う。そう思い込んだ。心のどこかで、お前の気持ちを受け入れるのはいけない事だと思っていた」
「……え?」
「今までそんな事すら気付けなかったけど、今わかった。思い出した。……私はずっと、あの男の子が迎えにくるのを待っていたんだ」
 苦しげに歪んでいた藍色の瞳が大きく見開いた。
 フィオナは、ひたすらにエリオットの瞳を見つめる。
「愛する事を考える時、父さん達とお前が浮かぶんだ。それと、誰かの声。子供の声で、私の事を大切そうに呼ぶんだ」
 彼の唇が薄く開き、声にならない声でまさかと呟くのが見えた。
 しかし、フィオナは何も言わない。翡翠の瞳はしっかりと彼を映す。
「父さん達への気持ちは、家族愛。でもお前への気持ちを恋愛だと決めようとすると、その声を思い出してなんだか後ろめたくなった。裏切るような気分になるんだ。誰なのか考えても全然わからなかったけど、お前の話を聞いてやっとわかった。あの声は……あの声も、お前だったんだな」
 小さく苦笑を零すフィオナ。
 彼女を見て、エリオットが僅かに顔を歪める。
 まるで何かを堪えようとするその表情に、胸の奥が熱くなった。
「私は馬鹿だから、遠回りも勘違いもしたけど、今ならはっきり言える。あの日、私を一人にしないと言ってくれたお前に救われた。強引で強気で、でも優しくて、責任感が強いお前に惹かれた。――私は、エリオット・クロムウェルが好きだ」
 くしゃりと、エリオットの表情が更に歪んだ。
 泣き出しそうにも見える彼に、フィオナの胸もきりきりと締め付けられる。
「……お前はいつもそうだ、フィオナ。お前は怒っていいんだ、憎んでいいんだ。俺はお前に嫌われて当然の事をしてきた。お前が今煩わしい状況にいるのは、全て俺が仕組んだ事だ。お前は被害者なんだぞ」
「……だから、嫌えって言うのか?」
「そうじゃない! お前に嫌われたくなんかない! だが、俺は、そうやってなんでも簡単に許せてしまうお前が嫌なんだ……!」
 右手を額にあて、エリオットが俯く。
 顔を半分も隠してしまった彼のその姿は、いつかの幼馴染の言葉を思い出させた。
 フィオナはぐっと唇を噛み、堪らずぶら下がった大きな手のひらに手を伸ばす。ぎゅっとその手を握ると、僅かに彼の体が強張ったのがわかった。
「……許してなんかいない。魔王の事も、黙っていた事だって、全部まだムカついてる。でも、仕方ないだろ。それでもお前を嫌いになれないんだ。お前を許せる理由を……許してもいい理由を、今も探してるんだ」
「フィオナ……」
「エリオット、私を迎えにきてくれたんだろ? 誓ったじゃないか。私、ずっと待ってたんだよ。私を一人にしないで。傍にいてくれよ」
 今でも時々思い出す。暗い地下室で泣いた、あの日の事を。
 あれ以来、フィオナは地下室に一人で入る事ができなかった。両親が殺されたその部屋に入る事はできても、暗闇も狭い場所も平気なはずなのに、あの地下室だけは入ろうとすると足が竦んだ。
 そんな中現れたあの少年は、確かにフィオナに希望をくれた。
 一人になんかさせない。たったそれだけの言葉が、どんなに欲しかったか。
 一人になりたくない。孤独は恐ろしい。だから、誰も手が届かない所へ行ってしまわないよう強くなりたかった。
 ダレルもクラリッサもそれくらいは理解しているだろう。だからこそ何も言わず、気付かないふりを貫く。その事がいつだって胸をちくちくと刺した。
 そんな弱い自分が嫌で、けれど彼はそれを認め、その上で傍にいてくれると言ったのだ。フィオナにとってそれ以上の言葉はなかった。
 見た事のない彼を探してみたりもした。似た背格好の子供を遠くに見つける度に期待した。
 しかし、彼はそれ以来一度としてフィオナの前に現れなかった。その事に落胆して、そして生温い環境に甘えて、いつしか彼の事を思い出す事もなくなった。
 どうして今まで忘れてしまっていたのだろう。彼はフィオナを迎えにくると、誓ってくれたのに。
「ごめん、エリオット。私は臆病で、愚かだ。今まで逃げてごめん。でも、もう逃げないから。エリオットが好きなんだ」
 離れたくない。離れて欲しくない。ただその一心で彼の手を握り、フィオナは懇願する。
 するとエリオットの顔がくしゃりと歪み、力強く握っていた手を引かれた。かと思えば、ふわりと体がぬくもりに包まれて、今度はフィオナが体を強張らせる。
 しかし、エリオットは構わずに抱きしめる腕に力をこめた。小さな頭を自身の胸に押し付けるようにしてフィオナをかき抱く。
「フィオナ。フィオナ、好きだ。愛してる。ずっと、ずっとお前だけを愛していた」
「っ……エリオット」
「謝って許されるなんて思ってない。償えるならなんだってする。だから、俺にお前の傍にいる権利を――お前を守る権利をくれ。今度こそ、お前を守ってみせるから」
 じわり、胸に彼の言葉が染み込んでいく。
 押し付けられた胸から彼の鼓動が聞こえて、フィオナは完治しきらない体が痛むのも厭わずにエリオットにしがみついた。縋りつくように彼の服を掴めば、更に抱きしめられる力が強まる。
 それにまた胸が熱くなって、じわじわと込み上げた熱が涙腺を刺激する。
「あげる。私の全部、エリオットにあげるから。ずっと傍にいて。私にも、エリオットを守らせてくれ」
 混沌の時代の中、若くしてこの大国を守り抜いた彼をただの庶民であるフィオナに守れるかどうかなんてわからない。
 それでも、恐らくこれからもっと大きなものを背負う事になるだろう彼を支えたい。見守りたい。
 ふっと、彼の腕の力が僅かに弱まる。
 恐々フィオナが顔を上げ、目が合うと、エリオットは眉を下げて破顔した。
「頼もしい限りだな、勇者様」
「……馬鹿にしてるだろ、王子様」
「まさか」
 じとりと睨みつけるエメラルドの瞳に、エリオットが目を細めて微笑む。
「幸せすぎてどうにかなりそうだ」
 その微笑があんまり嬉しそうで、とくんと胸が鳴った。
 彼の手が頬に添えられる。促されるまま、フィオナはそっと目を閉じた。
 唇に与えられる熱はやはり優しくて、自分まで胸の奥があたたかくなった。
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