懺悔と声

 白く輝く墓石の前に、桃色の花束が供えられる。
 その様子を、フィオナはただ呆然と見つめていた。
「俺は全部知ってたんだ、最初から」
 静かなエリオットの声が耳の奥で響く。
 その声に強く胸が揺さぶられ、脳が痺れていくような気がした。
 何も考えたくない。頭の中で小さな子供がそうやって耳を塞ぐ。
「……知ってて……私を、勇者なんかにしたのか……?」
 それでもようやく振り絞った声は、情けなく震えていた。
 否定してほしい。
 あの過酷な旅に追いやったのには何か理由があるんだと言ってほしかった。彼自身にはどうしようもないような、フィオナにとってとても好都合な理由が。
 しかし耳に届いたのは、冷たさを感じる程冷静な声だった。
「ああ、そうだ」
 フィオナの中で、何かが音を立てて崩れていった。
 エリオットの話を聞いた時点でわかっていた答えだ。彼はフィオナの両親が魔物に殺された事を知っていて、フィオナが魔物を憎んでいる事を知っていて、全てを知った上でフィオナを魔王討伐に向かわせたのだ。
 そもそもおかしな話だった。何か特別な力がある訳でもない、ただの町娘に魔王を倒す希望を見出すなんて。
 実際に旅に出たからこそわかる、フィオナ達に託された資金はいくら国でも簡単に用意できる額ではなかった筈だ。あれだけの資金がなければ、魔王に立ち向かうだけの防具も武器も揃えられずすぐに死んでいただろう。それ程の大金を、国民から信託された大金を、ただ喧嘩が得意なだけの女に渡す筈がない。
 それでもフィオナが選ばれたのは、全てを知っているエリオットが国王に進言したからだ。
 フィオナはぐっと唇を噛んだ。
 否定してほしかった。言い訳をしてほしかった。あれは仕方がなかったんだと、望んでフィオナを危険に晒した訳じゃないんだと。そう言ってほしかった。
 フィオナがエリオットを許しても許されるだけの理由がほしかった。
「……同情、なのか」
 掠れた声が零れ落ちる。
 自分で放った言葉がナイフとなって、フィオナの胸を刺した。
 引き裂かれんばかりの痛みは喉や目頭まで刺激して、フィオナは決してエリオットからは顔が見えないように俯く。
 泣きそうな顔を見られるなんて絶対に嫌だった。
「私に、魔物や魔王に復讐する機会をくれたって言うのか。ダレル達まで危険に晒して、私に復讐させたかったのか!」
「っ……それは違う! 大切な女を復讐なんかに駆り立てる男がいる訳ないだろ!?」
「じゃあなんでっ……なんで私を、勇者なんかにしたんだ……!」
 復讐を一瞬でも考えなかったかと言えば、嘘になる。
 一人で眠る夜。殺風景な地下室。広すぎる食卓。
 ふとした瞬間にあの一瞬ともいえる出来事を思い出しては、必死に憎しみを殺した。
 それでも、実行に移す気はなかった。
 復讐を遂げたところで、救われるものなどフィオナには何もなかったからだ。
 心配してくれる幼馴染や世話焼きな大人達に囲まれて、充分幸せだった。自分が復讐などに走れば彼らが悲しむ事くらい、フィオナにもわかっていた。
 フィオナは大好きな彼らを苦しめたい訳ではない。
 ただ、守りたかった。必死に自分を守ってくれる彼らを守れるようになりたかった。
「……すまない、フィオナ」
 押し殺したような声が鼓膜を震わせる。
「お前が復讐を望んでいないのも、あの時にちゃんと理解していた。それでもお前を茨の道に追いやったのは、全部俺の我儘だ。俺の為なんだよ、全部」
 俯いたままのフィオナの視界に、隣に立つエリオットの手が入り込んだ。
 大きな手のひらは躊躇うようにフィオナの左手に触れ、ぎこちなく握る。それでも強く包み込むように握るそれに、また胸の奥がじくじくと痛んだ。
「お前と出会ってから、必死で立派な王になれるよう努力した。お前を守る前に国を守らないといけないと思ったんだ。だが、何年か経って、お前の事は諦めた方がいいのかもしれないとも思った」
「……え」
「俺は王族で、お前は一般人。父上や母上はともかく、必ず貴族は身分差を気にして煩くなるし、そうなれば国は不安定になる。そんな事は王子として許せない。だからお前を諦めようと、いろんな女の相手をした。幸か不幸か言い寄ってくる令嬢は山ほどいたから、その中の誰かを好きになろうと思った。好きになれなくても、そこそこ情が持てる相手なら誰でもよかった」
 フィオナの脳裏に、藤色の髪を持つ女が蘇る。
 猫を被る事をやめたアイリスは憎悪にも似た嫉妬を円らな瞳に燃やしてフィオナを睨んだが、それでもその瞳は傷ついた色を隠しきれてはいなかった。
 彼女はエリオットを愛していた。そしてエリオットからも愛されたかったのだ。ただ、それだけ。
 決して誰にも言わなかったが、最後にアイリスと相対した時、フィオナは僅かな羨望を覚えた。
 彼女のようにあれほど誰かを愛おしいと、恋しいと感じた事はなかった。
 つい、エリオットの手を握り返す。しっかりと包み込んでくれる手に、どうしようもなく胸が焦がれた。
「それでも踏ん切りがつく相手がいないまま、ダラダラと時間だけが過ぎて……ある時、城下でお前を見かけたんだ。もう十年以上前の事だから見間違いかもしれないとも思ったんだが、近くに行けばすぐにわかった。ダレルと楽しげに歩いていたな。クラリッサは見なかったと思うが」
「え? い、いつだ、それ……そんなの、全然知らない……」
「そうだな、お前はちっとも俺に気付かなかった。忘れていても無理はないと、それについては諦めた。だが……お前が、俺の知らない所で俺の知らない男に笑いかけてるなんて、我慢出来なかった。嫉妬したんだ。俺はその時初めて誰かに嫉妬した。それまでは思い出に焦がれるだけだった。――きっと俺はあの女の子を諦める事はできないんだと、そう思い知った」
 とくん、と鼓動が響く。冷えていた胸が、ゆっくりと体温を取り戻す。
 おずおずと顔を上げると、宝石のような瞳と視線がかち合った。吸い込まれそうな程澄んだ色をした瞳に、フィオナは思わず息を飲む。
「俺がお前を手に入れるには、誰も文句が言えないお前の身分が必要だった。それと、俺がお前を妃にしても疑われないきっかけ……惚れた理由だな。それが揃うのが、魔王討伐だったんだ」
「っそんな、そんな事言ったって、何回も死にかけたんだぞ! お前は私を殺してまで妃にしたかったのか!?」
 いつか、ウォルトが言っていた言葉を思い出す。『世界を救った勇者』だと言えば、誰もフィオナとエリオットの結婚に文句は言えない。
 確かに何も秀でた所のない娘を無理矢理妃に迎えるには、手荒な手段だが魔王討伐しかないだろう。
 だが、一歩間違えばフィオナは死んでいた。しかもそこにフィオナの意志は全くといってなかったのだ。
 咎めるようにフィオナが叫ぶと、エリオットは心外そうに眉を寄せた。
「だから、なんでそうなるんだ! お前が死んだら意味がない! 俺は時期を見て呼び戻すつもりだったんだ! 適当に他国を巡らせて誰かが魔王を倒すか、ある程度時が経ったら理由をつけて呼び戻し、それらしい称号を贈れば済む筈だったんだ! それなのにお前らは連絡も寄越さずにずんずん進んで、なんで勝手に魔王を倒してるんだ!」
「なっ、お前が命じたんだろ!? お前は少しも私を信じて任せてくれたんじゃないんだな!」
「俺は信じていた!!」
 びく、とフィオナは体を強張らせる。
 自分を見つめる瞳がひどく傷つき、揺れているのを見て、胸がまた痛んだ。
「父上もアリスンもサイラスも、誰も信じない中、俺だけはお前が無事に帰ってくると信じていた。だが、大切なお前を危険の中にいつまでも置いておける訳がない。ましてや魔王の相手なんて危ない真似……本当はさせたくなかったんだ」
「何、言ってるんだよ……自分で、させたくせに……」
「ああ、そうだ。矛盾してる。その上身勝手だ。だから、お前には知られたくなかった。何も知らずにお前が俺に笑ってくれるのが嬉しかったんだ」
 ――ごめん、フィオナ。
 降ってくるその声は彼らしからぬ弱々しいもので、それなのに脳裏で響くあの声と似ている気がした。
 優しく名前を呼ぶ、愛おしい声。
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