誓いと意味

 どこからか慌しい足音と、複数の男の声が近付いてくる。
 びくりと肩を震わせてしまったのは、いわば条件反射だった。
 王子が行方不明など公言出来る筈はないので捜索している者は誰も呼びかけたりはしないが、今周囲を見回しながら走る衛兵を見たなら、まず間違いなくエリオットを探している者だろう。
 墓地を囲む柵越しに、少し離れた所を衛兵が駆けていくのが見えた。追っ手はすぐそこまで迫っているらしい。
 少しはゆっくりする事が出来たので見つかれば大人しく連れ戻される気もあるが、わざわざ見つかってやるつもりもなかった。さて、どうしたものか。
「……お前、悪い事でもしたのか?」
 思案するエリオットに、同じ方向を見た少女が問いかける。
 確かに、走り回る衛兵に過剰に反応すれば誰でもそう思うだろう。城を抜け出したのは悪い事だろうが、少女が言う悪い事は犯罪の類であって、決してこれは犯罪ではない。
 言い訳じみた事を考えつつ否定すれば、そうかと頷いた少女が立ち上がった。
「とりあえず、あいつらに見つからないように隠れればいいのか?」
「え? まあ、そうだな」
「じゃあこっちだ」
 小さな手のひらがエリオットの腕を掴み、引っ張る。引かれるままエリオットが立ち上がれば、少女は突然駆け出した。戸惑うエリオットの声を無視して墓地の出入り口まで来ると、きょろきょろと周囲を見回してからまた走る。
 少女の歩幅はエリオットより少し小さく、足は速いがついていく分には問題ない。声を聞かれて見つかっては堪らないのでエリオットも口を噤み、物陰に隠れては周囲を確認して走る少女に大人しくついていった。
 暫く走ると、一軒の大きな家に辿り着いた。赤レンガの壁には蔓が這い、家を囲む塀も古く所々欠けている。
 家の裏手に回ると空き地があり、手入れがされていないのか背の高い草が好き放題生えていた。
 その中を少女は塀に沿うように進み、ある場所で足を止めるとしゃがみ込む。
 完全に草に隠れてしまった少女に促されてエリオットもしゃがめば、そこの塀には子供ならば難なく通れる程の穴が開いていた。
「私と幼馴染が見つけたんだ。まだクラリッサ……もう一人の幼馴染にも教えてない。困ってるみたいだから、特別に、な」
「勝手に入っていいのか?」
「ここ、空き家なんだ。だから絶対誰も来ないし、見つからない」
 出来る限り身を屈めて中へ入ってしまった少女が、早く早くと急かす。その瞳は楽しげに輝いていた。
 城下町を散歩した事はあっても、こんな風にどこかに潜り込んだり探検の真似事のような事をするのは初めてだ。どこかわくわくとしたものを感じながらエリオットも塀を潜り、荒れた庭に適当に腰を下ろしていた少女の傍に倣うように座った。
「悪い、助かった」
「いいよ。私もよくカークおじさんに追っかけ回されて、ここに逃げるんだ」
 肩を竦めて無邪気に笑う少女の膝小僧には絆創膏が貼られていて、普段は街を走り回って遊んだりやんちゃしたりしているのだろうと思う。それが偽りの姿だとは言わないが、強がっているようにしかエリオットには見えなかった。
 なんとなく溜息が零れると、少女が不思議そうに首を傾げる。
 きょとんと丸くなったエメラルドの瞳を、エリオットはまっすぐ見つめた。
「今、どうやって暮らしてるんだ? 親戚の家にいるのか?」
「ううん、今までの家で一人で住んでる。ご飯は隣の家で一緒に食べさせてくれるし、お金はコーレにいる伯父さんがくれるんだ」
「一人暮らしって、大変だろ? その伯父さんと一緒に暮らそうとはしないのか?」
「そうしたら家を出なくちゃ駄目だし、私はあの家が大切なんだ。この街も離れる気はない。我儘だってわかってるけど、お父さんとお母さんから離れるみたいで嫌なんだ」
 僅かに俯いた少女の頭を、エリオットはそっと撫でる。何故かはわからないが、勝手に手が動いていた。
 顔を上げた少女に苦笑を漏らせば、少女も眉尻を下げて笑う。苦笑ともとれるそれに胸があたたかくなるのがわかった。
 陽だまりのようだ、と思う。眩しくて、心が安らぐ。少女が笑うと、それだけで気分が高揚する。
 守りたい。小さな手をしたこの少女がこれ以上悲しみにくれなくてもいいように、この手で守ってやりたい。
「お前、名前は?」
「……フィオナ」
「フィオナ……いい名だ」
 大きな瞳がエリオットをじっと見つめる。
 エリオットは、できる限り優しく微笑んだ。
「お前は強い女だ。だから俺が守る。どんなに強い奴でも、どんなに優秀な奴でも、心休まる時や全てを預けられる者が必要なんだ」
「……私は、そんなのいらない。私を守る為に傷つく人なんか、いらない」
「ああ、そうだな。だから、俺はお前を守ったくらいで傷つかない男になる。お前を守れるほど強くなってみせるから、それまで待っていてくれ。――たとえ何があっても、俺がお前を一人になんかさせない」
 僅かに怯えた色を見せた瞳がじわじわと潤んで、少女が小さく小さく頷く。それでも涙を堪えようとする少女の頬に手を添え、震える唇に口づけた。
 触れるだけのそれの意味を知らないのか、少女は不思議そうな、不安そうな顔をしてエリオットを見上げている。
 エリオットは苦笑して、もう一度口づけた。
「これは誓いだ。次に会った時、お前を迎えに来たと思え」
「え……?」
「お前はもっと強くなって、好きなだけみんなを守ればいい。俺ももっと強くなって、お前を守る。次に会った時、お前を守る権利を俺にくれ」
 初めてだった。何かを守りたいと思ったのは。
 尊敬する父のようになりたい。母のように凛と前を向いていたい。民が誇れるような王になりたい。
 そうは思っても、実際に何かを守りたいと思ったのは彼女が初めてだった。
 強く、懇願するようなエリオットの眼差しを少女はしっかりと受け止め、頷く。
 照れ臭そうにはにかむ少女を見つめ、穏やかな心地にエリオットも笑い返す。
 少女を想うと込み上げる気持ちが愛しさだとエリオットが気付くのは、もう暫く後の事だった。
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