ジエタ地区

 青く晴れ渡る空の下、六件もの火災が一度に起きた城下町では、今日も順調に建て直し作業が進められている。現場に近づくと未だに鼻をつくような臭いが残っているのだが、住民の神経は図太く、既に以前と同じような活気を取り戻していた。
 顔見知りのおばさんと軽く談笑をしているフィオナの元に、エリオットが花屋から戻ってくる。
 全体的に桃色の花束を携えた彼を見てあっと声を漏らすと、おばさんはニヤニヤと笑いながらフィオナの肩を叩いた。
「あらあら、ちょっと見ない間に……いい男じゃないのフィオナ! あんたも大人になったんだねえ!」
「はあ!? ちょっ、違ッ!?」
「お褒めに預かり光栄です、マダム」
 自然な動きでおばさんの手を取り微笑むエリオットに、フィオナは思わず胡乱な目をしてしまう。
 どこの王子様だ。いや、この国の王子様か。
 まさか彼が王子などと思わないおばさんは頬を赤らめてあらあらと嬉しそうに笑うと、「お邪魔しちゃ悪いわね!」とまたフィオナの肩を叩いて去っていった。
 何故だかすごく疲れた気がする。深い溜息を吐くフィオナを見て、エリオットは楽しげだ。
「それにしても、頻繁に声をかけられる割に誰もその怪我について触れないんだな。具合はどうだ?」
「ああ、まだ平気だよ。多分みんな、私がギプスとか包帯してるのも見慣れてるんじゃないか。この辺まで来たら本当にガキの頃から遊びまわってた所だし」
「もうジエタ地区の端か。随分歩いたな。……お前の家は確か、もっとあっちの方だったな」
 南西の方角を見るエリオットに頷いてみせ、フィオナは心中で首を捻った。
 彼に家の話をした事があっただろうか。不思議に思ったものの、住所くらいならいくらでも知る機会もあるだろうと納得する。
 相手は王子様だ。庶民に出来ない事も難なくやってのける。
 暫くの間フィオナの家の方角をじっと見つめていたエリオットは、何かを振り切るように頭を振ると踵を返して歩き始めた。
 慌ててフィオナも隣に並び、歩き出す。
「なあ、どこに行くつもりなんだ?」
 城を出てから迷いなく道を歩いているエリオットは、恐らくどこかを目指しているに違いない。
 しかしフィオナには何も言わず、途中目に付いた店に立ち寄ったり声をかけてきた住人と軽く話したりするだけだ。花束も気になるところである。
 いつか聞いた話では、エリオットは時々お忍びで城下に遊びに行くらしい。
 しかし、ジエタ地区は王城からも少し遠く、民家ばかりが並ぶのでわざわざ王子が足を運んでくるような場所ではない。誰かを訪ねに行くのだろうか。
 フィオナの問いかけに一瞬苦い顔をしたエリオットだったが、ちらとフィオナを振り返る。
「お前みたいに馬鹿正直な奴なら、こんな事で悩んだりしないんだろうな」
「は? 殴られたいのか」
「まあ、お前も大概鬱屈してるか」
 細められた瞳に思わずどきりとした。自分の中を見透かされたような気持ちになって、心臓が変に強張る。
 そんな心中を知ってか知らずか、エリオットはおもむろにフィオナの頭を撫で、再び前を向いた。
「言い訳するとな、一応いつか話すつもりではいたんだ。でもお前にとっていい話でもないだろうし、必要ない話だとも思った。お前が俺の傍にいてくれるなら話すべきだろうが、お前が他の男を選んだ時にはむしろ知らない方がいいのかもしれない。……今思えば、その判断が誤りだったんだろう」
 ふっと、自嘲じみた笑みが零れる。前を見据えたままの瞳が揺らいでいるのを、フィオナは目をそらす事もできずに見つめた。
 何の話をしているのかわからない。しかし、変に言葉を吐き出して遮る事も、ましてや止める事もできなかった。
 それは彼にとっては大切な話で、恐らくフィオナにも関係のある話なのだろう。そしてあまり言いたくはないが、それでも彼が打ち明けようとしているのだとわかったから。
 フィオナは頭に乗せられたままの手をとり、そっと握った。指先だけを握るそれに僅かに大きな手が強張り、それから、手繰り寄せるように指を絡め、繋がれる。
「聞いたらお前、怒るだろうな」
「……私が怒るような話なのか」
「ああ、まず間違いなく怒る。あとは……俺の事、本格的に嫌いになるかもな」
 冗談めかした声で言うエリオットが、決して冗談でそれを口にしていないのは彼の表情を見ていればわかった。
 押し黙ったフィオナの手を引き、エリオットは墓地へ足を踏み入れる。それに気付いたフィオナが僅かに肩を震わせた。
 黒い柵で囲われた敷地内には緑も多く、風が木の葉を揺らし、どこからか鳥のさえずりが聞こえてくる。整然と並ぶ石は綺麗に磨かれている物もあれば、放置されているのか苔が生えている物まで様々だ。
 その間を急ぎ足でもなく、ゆっくりでもなく、ただ迷いなく進んでいくエリオットに引かれながら、フィオナはどうしようもなく逃げ出したい衝動に駆られた。しかし、彼の手を振り払うだけの力が入らない。
「なあフィオナ、俺とお前が初めて会ったのはいつだと思う?」
「何、言って……魔王討伐の命令が下った時、だろ? 謁見の間で、陛下と一緒にいて」
「残念、外れだ。わかってた事だが、本当に覚えてないんだな」
 震えないように振り絞った声に、彼は気付いているかもしれない。大きく暗い洞窟の前に立ったような恐怖が、ひたひたと足元から這い上がってくる。
 堪らず縋るように手を握る力を強めた時、不意にエリオットが足を止めた。彼の前に立つ一つの墓石を見て、心臓が鷲掴みにされたような感覚が走る。
 どうして彼がこの場所を知っているのか。どうして彼がそんな事を言うのか。
 気持ち悪い程響く心音に邪魔されて、うまく思考が働かなくなる。
「もう、十三年も前だ」
 何かを惜しむように、エリオットが言葉を紡ぐ。
 胸の奥が急激に冷えて、それなのに繋がれた手だけが熱い。
「――俺はここで、お前と初めて出会った」
 白い石に刻まれた両親の名前を見つめながら、フィオナは彼の声をどこか遠くに聞いていた。
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