噂と外出

 ほう、と息を吐く。相変わらず寝台の上に横たわったまま、フィオナは窓の外に広がる青空を見つめた。
 もう何日こうしているのか、実の所よくわかっていない。
 やはりこの部屋を訪れるのはダレルとオリヴィアだけで、フィオナは未だに医師に外へ出てもいいと許可をもらえずに引きこもり生活を続けている。
 フィオナ自身は、右腕のギプスは取れていなくとももう歩き回るくらいには充分回復したと思っているのだが、許可がなければ外に立つ見張りは許してくれない。鬱然とした気分になって、溜息を吐いた。
 クラリッサはまだ顔を見せてはくれないが、ダレルから少々面白い話を聞いた。
 研究室にこもりきりの彼女の元へ、毎日サイラスが通い詰めているらしいのだ。部下さえも部屋に入れようとしないクラリッサも彼は許してしまうようで、城内ではもっぱら噂になっているそうだ。
 そんな噂さえ遮断されたこの部屋を窮屈に感じながら、フィオナはつい唇に触れる。
 水を飲んだばかりで少し湿ったそれが覚えている、ダレルとは別の誰かの感触。その誰かを、まだ思い出せずにいた。
「……愛、か」
 以前オリヴィアが言ったように、愛する事を考える時に思い浮かぶ男はいる。眩しそうに宝石のような瞳を細めて笑う、強引で優しい王子様。
 だが彼とは別に、姿も朧な誰かが名前を呼ぶ声がするのだ。幼い、少女とも少年ともわからない声。
 誰のものかもわからないのに、胸がきゅうっと締め付けられる。同時に生まれる熱は体中を熱くして、どうすればいいのか戸惑ってばかりだ。
 また火照り始めた頬を両手で包み寝台で丸くなると、ノックが聞こえて思わず飛び上がった。弾かれたように振り返ったフィオナは、返事も聞かずに入ってきた男に目を丸くする。
 彼はそんなフィオナを見て、どこか満足げに笑った。
「久しぶりだな、フィオナ。具合はどうだ?」
 眩しそうにバイオレットの瞳を細めて笑う、エリオット。
 考えていた事が考えていた事だけに、まるで何もなかったかのように普通に入ってくる彼を見つめたまま、フィオナはかあっと顔を赤らめる。
 彼女の反応に首を傾げたエリオットだったが、必死にフィオナが大丈夫だと答えると、特に気にした風もなくそうかと笑って優しく金髪を撫でた。
「見舞いに来なくて悪かったな。怒ってるか?」
「……いや、怒ってない。お前も戸惑ってるんだって、王妃様が言ってた」
「母上か……まあその母上に叱られて今ここにいるんだが、まだいまいち考えがまとまってない。多少変な事もあるだろうが気にするな」
 見上げてみれば、決まり悪そうにしているエリオットと目が合う。なんだかこそばゆい感覚にフィオナはつい視線を落とし、縮こまった。
 ちらりと彼の傍を見てみたが側近の姿もなく、どうやら一人で来たようだ。髪を撫でる手のひらが時折肌に触れて、嬉しいような恋しいような気がして居た堪れない。
 エリオットが変なら私はもっと変だ。そう心中でぼやくと、そっと息を吐くのが聞こえた。
「フィオナ、出かけるぞ」
「え?」
「執務も先に終わらせてあるから問題ない。引きこもってばかりで退屈だっただろ? 久しぶりに城下に出よう」
 髪を撫でていた手が自然な動きでフィオナの左手を握り、立ち上がるように軽く引っ張る。
 促されるまま立ち上がったフィオナだったが、困惑せずにはいられなかった。
「で、でも、医師せんせいがまだ……」
「ああ、外出許可ならとっくに出てる。フィオナには黙っておくように俺が言ったんだ」
 あっけらかんに返ってきた答えに文句を言おうとするが、それより先に「お前はすぐ無茶をするからな」と笑われては何も言えなくなる。そう言われても仕方がない事をしてきたのだから、彼の心配はもっともだろう。
 申し訳ない気持ちに俯くと、エリオットは強くフィオナの手を握った。
「ほら、時間が勿体ない。早く行くぞ」
「あ、ああ」
 一応自分の格好が外出しても恥ずかしくはないか確認をしてから、フィオナはエリオットに引かれるようにして部屋を出る。いってらっしゃい、と扉の傍に控えていた見張り番に見送られ、彼と並んで廊下を歩いた。
 久しぶりすぎてそわそわする。
「そういえば、サイラスさんは一緒じゃないのか?」
「ついでだからクラリッサの所に行かせた。あいつも顔にはあまり出さないが、一日中クラリッサを気にしてるんだ。そろそろくっつかないかと思ってるんだが」
「ま、まさか、サイラスさん、クラリッサが好きなのか?」
「阿呆。逆だ」
 えっと悲鳴じみた声を上げるフィオナを、エリオットが呆れたように見つめる。
 噂は聞いているだろうに、いい加減気付けよ。彼の視線にはそんな批判が込められていて、フィオナはつい項垂れた。
「二人がどういう状態なのかは知らないが、サイラスを見る限り、なかなかクラリッサが大切らしい。あいつは少々馬鹿な所もあるがいい奴だ。心配はいらない」
「そ、そうだな……うん、大丈夫だ」
 言い聞かせるように呟くものの、幼馴染の恋心に全く気付かなかった自分が情けない。
 思わず溜息を吐くと、エリオットが不意に顔を覗きこむ。近くなった距離に思わず息を飲めば、彼はにやりと不敵に笑った。
「俺達はいつくっつくんだろうな?」
「えっ……!?」
「……くく、林檎みたいだぞ、勇者様」
 愉快そうに喉で笑う王子を、きっと睨み付ける。しかしそれさえも彼を喜ばせるようで、エリオットは悪びれた様子もなく手を握る力を強めた。
 大きくて、包み込むように握るその手を振り払うなんて、考える事もできない。
 なんだか悔しい気持ちを抱えながら、フィオナはエリオットと共に王城を出た。
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