勇者の答え

「あともう少しの辛抱ですから、くれぐれも大人しくしていてくださいね」
 むくれる勇者にそう言い募るのは、真っ白の髭をこさえた老医師だった。
 以前アイリスとの件で足を挫いたくせに走って悪化させた事を根に持っているらしい彼は、診察に訪れる度に釘を刺す。
 怪我の具合は順調に回復していた。さすがに骨折や大きな切り傷はまだなのだが、打撲や擦り傷はほとんど見えなくなり、包帯の数も随分減っている。
 そろそろ城内を歩き回るくらいいいだろうと思うのだが、フィオナが文句を言う前に老師が先手を打ってしまう。歩き回ればついでに走り回るくらいするだろうとバレてしまっている。
 むくれたまま無愛想にお礼を告げるフィオナに馬鹿な子を見守る眼差しを送ると、老師は助手をつれて部屋を出て行った。
 誰もいなくなった部屋で、フィオナはぼそぼそ文句をたれる。
 すると、間もなくノックと共に扉が開き、ダレルが入ってきた。
「先生が困っていたぞ、お前がもっと食べたいと文句を言うから……食べすぎは体に障るんだから諦めろ」
「あの爺、告げ口しやがって……」
 思わず舌を打つと、「口が悪い」とダレルに軽く頭を叩かれる。
 怪我人にそんな事していいのか! なんて反論した時には、怪我人の自覚があるなら大人しくしろと反撃されてしまったのでフィオナは押し黙る他ない。
 寝台の傍の椅子に腰掛け、ダレルは持ってきた袋をフィオナの膝の上に置く。
 中を覗けば美味しそうに焼けたクッキーが入っており、なんだかんだ甘やかすのが上手だよなあとフィオナは苦笑した。
「今朝、ディックが届けに来たそうだ。俺とクラリッサの分はもうどけてあるから、それはお前の分」
「ありがとう。ダレルに会えなくて、ディックの奴残念がってるだろうな」
 ディックが届けに来たという事は、デイジーのお手製なのだろう。彼女が作るクッキーは、昔から口にしていたからか、店で買うクッキーよりも美味しく感じる。
 大好きな兄に会えずに落ち込む少年の姿を想像して笑みを零し、フィオナはダレルを見た。
 花瓶に生けられた花を見ていたダレルが、視線に気付いて振り向く。
 萌黄色の瞳をまっすぐに見据えた。
「ダレル、私が好きだって言うのは友愛じゃないんだな」
「……ああ、恋愛だ」
 眩しそうに細められた瞳に浮かぶ愛しさを見つけ、フィオナは「そうか」と呟き、僅かに俯いた。
 彼は冗談など言う男ではない。その想いが本当だとよくわかった。
 考える時間は無駄にある為、ほとんど一日中その事ばかりを考えた。
 考えるのに向いていないと逃げる事は今更できない。もしかしたら間違っているかもしれない。
 それでも、フィオナにはこの他に納得のいく答えが見つけられなかった。
「私はダレルが好きだよ。――友人として」
 真摯な眼差しに、ダレルが僅かに目を丸くする。変に体が強張るのがわかった。
 告白をされた事も断った事もないフィオナには、どうするのが正解なのかがわからない。もしかしたら彼との関係が変わってしまうのではとまで考えて、恐くなった。
 そんな緊張が伝わってしまったのか、ダレルがふっと表情を緩める。
「ああ、知ってる」
「……え?」
「何年お前と一緒にいたと思ってるんだ。ずっと傍にいたから、知っている。お前と俺の気持ちが違う事くらい」
 だから、告げる気にはならなかった。それでも告げたのは、ある意味での区切りをつけたかったからだ。
 ダレルは笑みを浮かべて、眉尻を下げて申し訳なさそうにするフィオナの頭をぐしゃりと撫でた。
「いいんだ。これで、お前が少しでも前に進めるなら」
「ダレル……」
「お前を無知なままにしたのは俺だ。お前に気になる男ができた時、その男が気になると理解する為に他の男を比べる時、お前は俺と比べるだろう。俺がお前にとってどんな男かわからないのに、その男を愛していると気付ける訳がなかった。それを知ってて何もしなかった、俺が悪い」
 許してくれ、と笑う幼馴染に、フィオナはただ首を振った。
 怒るべき所などどこにもない。彼はいつだってフィオナの為に動いてくれた。その事実を誰よりも知っているのはフィオナだ。
 フィオナは膝の上の袋をくしゃりと握り締めて、乞うようにダレルを見つめる。
「これから、私達はどうなるんだ? やっぱり、今まで通りじゃいられないのか?」
「……本当に、馬鹿な奴だな」
 呆れたように笑う彼が何故か泣き出しそうに見えて、胸がきつく締め付けられた。
 大きな手のひらが、あやすように髪を梳く。
「そんな顔をするな。俺はこれからもお前の幼馴染で、友人だ。お前が望むならずっと傍にいる。隣じゃなくても、絶対にお前の手が届かない場所に行ったりはしない」
「……本当に? 約束だぞ」
「ああ、約束だ」
 ぴんと立てた小指を差し出すと、ダレルも苦笑して小指を絡める。子供の頃は何度もしたのに、いつの間にしなくなったのだろう。
 恐らく隣にいる事を望んでいる彼に、隣にいてもいいと言えないくせに傍にいてほしいと頼むのは酷な事なのかもしれない。
 それでもフィオナには彼を失う事など考えられず、感傷的になるのを誤魔化すように子供っぽく大声で歌った。
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