王妃と勇者

 退屈だ、とフィオナは思う。
 目が覚めてから早数日、勇者は暇を持て余していた。
 世界の人口の内およそ三分の一は多かれ少なかれ魔力を持っていると言われているが、なるべく魔術に頼らないというのが世界的常識である。
 魔術は当然便利であるし、魔物がいなくなった現在でも必要な物でもある。
 しかし、必要に迫られない限りなるべく使わない。それはどこかで魔術によって破壊を生んだ魔王を忌み嫌い、自分達はあれとは違うと言いたいのかもしれない。
 兎にも角にも、その常識は世界を救った勇者にも例外なく適応されている。
 しっかりと一命を取り留めたフィオナは折れた右腕にギプスをし、左手・左肩・脇腹は言わずもがなであるが、他にも小さいながらに傷を作ったお陰でもれなく全身包帯ぐるぐる状態にされていた。傷は塞がってはいるが無茶をすればすぐにぱっくり開いてしまう為、医師にはもう寝台から下りるなとさえ言われている。
 そんなに無茶を働きそうか、私は。そうつっこみたかったフィオナだったが、実際前科がありまくるので胸の内だけに止めておいた。
 宛がわれた部屋はご丁寧にも窓から飛び降り不可能な四階で、唯一の扉の外には四六時中見張りが立っている。警護だという説明を受けているが、それよりも脱走しないように見張っているに違いないとフィオナは踏んでいた。
 事実、その通りである。フィオナが目覚める前、エリオットとダレルが珍しく口を揃えて見張りが必要だと言ったのだ。脱走する気満々だったフィオナの考えなどお見通しなのであった。
 ――三階なら飛び降りられるのに。いや、この手負いじゃさすがに三階でも無理か? いやいや、我慢すればいけるだろ。いやでも、内臓抉れてたとか言ってたしな。
 などと不毛な事を考えては、フィオナは寝台の上でごろごろとしているしかなかった、筈なのだが。
「御機嫌よう。今日はチェスを持ってきたのだけれど、チェスをおやりになった事は?」
 ノックの後に悠然と部屋へ入ってきた王妃に、フィオナは苦笑して首を振る他なかった。
 艶やかな藍色の髪に、宝石のようなバイオレットの瞳。肌は雪のように白く、ドレスに包まれた肢体は細く、それでも出るべき所はしっかり出ている。恐らくエリオットが女ならばこんな感じなのだろうと思わざるを得ない美女。それがオリヴィアだった。
 何故か、オリヴィアは王妃付きの侍女を伴って毎日この部屋を訪れている。
 曰く、退屈なのだそうだ。社交界のシーズンでもなければ、息子は仕事ばかりで相手をしてはくれず、旦那は最近溜息ばかりでこっちが嫌になる。そこで見つけた暇潰しの相手がフィオナだったそうだ。
 フィオナの返答を聞いて、オリヴィアは驚いたように目を丸くした。
「あら。庶民はあまり親しみがないと聞いていたけれど、本当なのね」
「売っているには売っていますし、そういうのを好む人もいるでしょうけど、私は頭を使う事は苦手で。クラリッサの家にはありましたから、あいつならできるんじゃないですか?」
「そういえば、彼女はまだ顔をお見せにならないのかしら」
 フィオナは苦笑を深めるしかない。
 オリヴィアは毎日ここに通ってくるお陰で、既にクラリッサが一度も来ていない事を知っている。そして、エリオットも。ダレルはあれからも何もなかったかのようにちょくちょく来てくれるが、二人は未だ顔すら見ていなかった。
 何も言わなくても答えをしっかり理解したオリヴィアは、ふうと呆れたように溜息を吐く。
「愚息の事は、待ってやってとしか言えないわ。馬鹿に育てたつもりはないのだけれど、こういった経験はなかったようだから戸惑っているのよ。私が侘びるのもおかしな話だけれど、ごめんなさいね」
「いえ、……殿下は充分、私を待ってくれていると思います」
 こういった経験という言葉に引っかかりを感じたが、フィオナは努めて明るく笑った。
 覚悟をしろと言われたものの、まだその覚悟も、どんな覚悟をすればいいのかもわからない。そんなフィオナを、彼はゆっくりと待ってくれている。それはわかっているつもりだ。
 オリヴィアはどこか安心したように「そう」と呟くと、侍女が用意した紅茶に口をつける。
「クラリッサは体調が悪い訳ではないようだけど、もしよかったら、私から来てくれるようにお願いしてみましょうか」
「大丈夫です。クラリッサは私と違ってよく頭で考えるから、きっと何か思う所があるんです。私が心配なのはそれでパンクしないかってだけで……あいつももう一人じゃないし、大丈夫です。解決したら、その内来てくれますよ」
 先程と違って迷いなくそう言えるのは、今までの彼女を知っていて、信頼しているから。今回の事で思い悩んでいるのは間違いないだろうが、クラリッサには彼女を支えてくれる人がフィオナ以外にもちゃんといる。だから、大丈夫だ。
 そう笑ったつもりだったのだが、オリヴィアは気遣わしげに眉を下げた。何故だろうと首を傾げると、彼女は一度カップを膝の上に下ろす。
「なら、貴女が悩んでいるのは二人が来ないからではないのね」
 ぎくりとした。
 まさかそれがばれているとは知らなかったが、やはり貴族や王族となると観察眼も鋭くなってしまうのだろうか。
「相談に乗れるかどうかはわからないけれど、お話を聞くくらいはできるわ。私でよかったら、聞かせてくれないかしら」
 真剣な眼差しに、フィオナはつい狼狽する。彼女に話してもいいものか迷うが、自分一人で解決できるとは思えない。
 悩んだ末に他言無用でお願いすると、オリヴィアはどこか嬉しそうに勿論と微笑んだ。この微笑にウォルトはやられたのだろうか、となんとなく思う。
 フィオナは深く息を吐いて、すぐに頬に熱が集まりそうになるなるのを堪えた。
「えっと……その、私、恋愛なんて縁がなくて、両親も早くに死んで、その所為か、恋とか愛とか、よくわからなくて」
「まあ……! それは由々しき問題ね」
「その、異性を好きになるっていうのは、どういう事なんでしょう……」
 由々しい程の問題かと思いつつも、オリヴィアをじっと見つめる。堪えたものの顔が赤らんでいるのは間違いなかった。
 オリヴィアは困ったと言うように頬に手をあてて、考えるように視線を斜め上へやる。
「半年間エリオットをあしらっておいて、今更そんな事に悩んでいるという事は、エリオットの他に悩ましい男性がいるという事かしら?」
「えっ!? べ、別に、そういう訳じゃ……!」
「なら、少なくともこうして悩ませる原因になった出来事はあるようね。キスでもされたのかしら?」
「――っ!」
「あらあら、図星?」
 かああと瞬く間に赤く染まったフィオナをまじまじと見つめて、オリヴィアは妙に納得してしまう。
 これじゃあ、愚息がからかいたくなるのも頷ける。馬鹿正直で可愛い反応は、見ていて実に楽しい。
 そのフィオナを悩ませる男性がエリオットかどうかは微妙な所だが、いずれにせよ彼女は自覚しなければならないのだろう。
 林檎のようになってしまった頬を押さえるフィオナを見つめ、オリヴィアは優しく目を細める。
「私にとって、ウォルトは馬鹿で変わった人だったわ。私に気に入られようと必死で、他の男性ならプレゼントで私の気を引こうとするのに、彼はただ一生懸命話して私を笑わせようとするのよ。私が笑うと、本当に嬉しそうに笑うの。それを見て、私は愛されているんだと実感して、嬉しくなるのよ」
「……」
「フィオナ、貴女が愛する事を考える時、思い浮かぶ人がきっといるわ。愛はあまりに種類が多くてどれも酷く似ているけれど、家族愛とも友愛とも違う愛を感じる人が、きっと」
 たおやかに微笑む彼女は何故だかとても幸せそうで、誰かを愛する事はきっと幸せなのだろうと思う。
 胸を熱くする何かに戸惑いながら、フィオナは精一杯頷いた。
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