現状と戦況

 黙々と机に向かう主人の様子を見つめながら、サイラスは溜息を吐かずにはいられなかった。
 元々サボリ魔という訳ではなく、適度に息抜きをしながらしっかり仕事をこなしていたエリオットだが、こうして机に齧りつくようになって五日が経つ。必要以上に机を離れようとしないし、むしろ息抜きを拒んでいるようにも見える。
 その理由は、一応わかっているつもりだ。自分が同じ立場なら似たような事をしそうだと共感もできるが、それでもこれはやりすぎだと思う。
 以前、ダレルとクラリッサに言った言葉を思い出す。彼は国の守り方は習っていても、人の守り方は知らない。己の守り方でさえ。
 余所見もせずに新しい書類に伸びたエリオットの手を、サイラスはやんわりと止めた。
「仕事熱心なのは感心いたしますが、殿下、ご無理はいけません。休憩なさってください」
「やるべき仕事があるんだから休めと言われても……」
「既に本日確認すべき分は終わっています。それは、ご自身がよく理解しておいでなのでは?」
 ぐっと言葉を詰まらせる主人に、サイラスはもう一度溜息を吐く。
 エリオットは手を戻したものの、机から離れる様子はない。
「フィオナ殿のお見舞いに行かれてはいかがです? 彼女も、さぞ退屈なさっている事でしょう」
「……どんな話をすればいいのかわからん」
 不貞腐れたように頬杖をつき、エリオットは眉間に手をやって揉み解す。
 この過保護な側近でなくても周囲が心配するほど、自分が仕事にのめり込んでいる自覚はある。しかし、こうせずにはいられなかった。
 フィオナは現状を聞き、魔王の息子を捕らえようとしている件は笑って納得したと言う。むしろ、そうしなくては王ではないと言ったくらいだ。
 彼女はただ、自分を攫い殺そうとした事について不問にしてほしいらしい。呆れるほどのお人好しである。
 彼女から得た僅かばかりの情報を足しても、その男が見つかる可能性は未だ低いままだ。
 城下町は消失した家屋の建て直しなどが始まっており、そちらの報告も逐一届けられるようになっている。
 それらに加え通常業務をこなす事自体は、それほど苦ではなかった。かえってこれくらいの方が今はいいと思う。
 何かに打ち込んでいないと、すぐにフィオナの事を考えてしまう。そのくせ怒りや悲しみ、後悔、安堵、いろんな感情がごちゃまぜになったままで、自分が何をしたいのかもよくわからない。
 今の状態で彼女に会えば自分が何をするかわからない、というのが正直な所だった。
「悔しいが、フィオナなら幼馴染殿がいる訳だし、俺が行かなくても完全に孤独という訳でもないだろう」
「……それなのですが、少し気になる話を耳にしまして」
 投げやりな気持ちで吐き出した言葉に、サイラスが僅かに表情を曇らせる。
 彼はクラリッサと何かがあった日から幾分感情を表に出すのが上手になったが、それでもやはり未だ笑顔が標準装備されている。その仮面男が少しばかり仮面を外したとなれば、エリオットが怪訝な顔をするのも当然だった。
 それ程の大事なのだろうかと思いつつ先を促すと、サイラスは一度考えるように視線をそらし、改めてエリオットを見つめた。
「ダレル殿は毎日、時間を見つけてはフィオナ殿の所へ通われているようなのですが……クラリッサ殿は、あの日彼女の治療をして以来、一度も部屋を訪れていないようで……」
「クラリッサが? 相当疲労していたようだが、まだ回復しないのか?」
「いえ、どうやらそういう訳ではなく、魔術塔にこもりきりで外に出ないらしく……フィオナ殿の意識が戻ったという報告をしても、研究室から一歩も出ないそうです」
「……あいつ、ちゃんと休んでいるのか?」
 思わず胡乱な目をして問いかけたものの、すぐに自分が言えた義理ではないかと苦笑する。
 ダレルはともかく、クラリッサならば報告を受けた途端に泣きながら駆けつけ、良かった良かったと泣いて喜ぶだろう。そしてそれからはつきっきりとまではいかずとも、彼女が無理をしないか見張るように何度もお見舞いに行くだろう。そう予想していた。
 あの日は事後処理に追われて、フィオナの傷を魔術で少しでも軽くしようとしていたクラリッサとはほとんど顔をあわせていない。
 何かしら彼女にも思う所があるのだろうが、恐らく自分と同じように心配されているに違いない。
 現に、この側近が表情を曇らせているのだ。全く、勇者一行はどうしてこうも強い影響力を持っているのか。
 エリオットは深く溜息を吐くと、机に両手をついて立ち上がった。
「お前も俺に付き合ってあんまり休んでないんだろう。気晴らしに少し城内を散歩するから、お前も休め」
「ではお供いたします」
「いい。俺は気晴らしをするんだ。お前がいても気は晴れん」
 手にしていた書類の角を揃え、倣うように立ち上がったサイラスに、エリオットは苦々しい顔をして悪態をつく。それから彼を一瞥すると、もう一度溜息を吐いた。
「お前も気を晴らして来い。思い立ったが吉日と言うだろう。気になるなら行けばいい」
「……お言葉ですが、今の殿下に言われたくはありません」
 後ろ頭をかいていたエリオットが、ぐっとバツが悪そうな顔をする。
 しかしサイラスはそれにどこか気持ちが固まるのを感じ、小さく笑みを零した。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
 彼の表情を見て、エリオットはもう大丈夫だろうと思う。
 未だに過保護でエリオットを主人としても恩人としても大切に大切にしているが、それは既に依然とは形を変えている。もう彼がエリオットに向けているのは依存ではない。
 それに酷く安堵して、サイラスと共に執務室を出た。
Copyright (c) 2012-2013 Ao kishibe All rights reserved.
 
inserted by FC2 system