国王の心配

 ふう、と悩ましげな溜息が落ちる。
 上質なソファに沈むように腰かけている男は、肘置きに肘を立て頬杖をつくと、その双眸を僅かに細めた。
「一件落着、とはいかないが……一先ずこの件は収束しそうだね」
 再び溜息を吐いた男――ウォルトは、穏やかな口調とは裏腹に表情を曇らせているように見える。
 それも無理はない、と彼と向かい合うようにソファに座るアリスンは思った。今回の一件について、自分が彼にした報告を思い返す。
 城下町での火災は全六件。負傷者はいるものの、幸い死者は出なかった。被害はほとんどが全焼、酷い所は燃え移り周囲の民家も被害を受けていた。
 犯人である魔王の子は、現在逃亡中である。各国に呼びかけ国際指名手配犯になりつつあるが、そこはさすが魔王の落胤といった所か、未だ情報は集まらずにいる。
 そして、この騒動の中心人物と言っても過言ではないフィオナ・アルフォードはなんとか一命を取りとめ、今回の事もあるので警備の都合上、城内の比較的魔術塔や医師達が働く場に近い一室に寝かせている。意識はまだ一度も戻っていない。
 それが、ここ三日間の主な出来事だった。
「……それにしても、エリオットは大丈夫かな。大切なフィオナが死にはしなかったとはいえ意識不明じゃ、さぞ心配しているだろう。やっぱり俺も仕事を手伝ってやるべきだろうか」
「あら、それはいけませんわ。あの子はいずれ王となるんですもの。今の内から慣れておいた方が、あの子の為ではなくて?」
 凛とした声で国王に否を唱えたのは、王妃のオリヴィアだ。
 ウォルトの隣に腰かけたオリヴィアは、息子と同じバイオレットの瞳を細めて彼を見つめる。
「そもそも、エリオットがこの件は全て任せてくれと言ったのだから、貴方が手を貸す必要はないわ」
「オリヴィアは相変わらず厳しいな」
「貴方が甘いからちょうどいいのよ。それに、貴方が手を貸してもあの子は喜ばないでしょう」
 呆れたように言うオリヴィアと確かにそれもそうだと頷くアリスン双方を見て、ウォルトは苦笑を浮かべた。
 フィオナの意志だったとはいえ、簡単に城下へ彼女を出した事を悔やんでいるのは見ていればわかる。そして自ら助けに行けなかった事も重なって、エリオットはせめてこの件は自分の手で終わらせようとしている。
 ウォルトとしてはとても楽をさせてもらっているが、息子が思いのほか優秀だから権限を多く譲っているだけで、まだ隠居しなければいけない歳でもない。手伝う事など簡単だが、やはり二人の言うとおり彼は嫌がるのだろう。
 エリオットには、この件に限らず普段と同じ仕事がある。それをちゃっかりこなしてしまうのは感心するが、働きすぎていつか倒れやしないか父親として心配なのだ。
 苦笑しながらもどこか考え込むような顔をするウォルトに、アリスンがそっと溜息を吐く。
「実際、殿下にとって問題なのは、執務の方ではなくフィオナ・アルフォードの方だと思いますが」
「ああ、確かにそれもそうだ。あいつはなんで隠し事するのかねえ。ほんと、俺に似て困っちゃうよ」
「私達にも詳しい事は話してくれないし、疚しい事でもあるのではないの?」
 隣から胡乱な視線が注がれるのを感じつつ、ウォルトは少しばかり昔の記憶に思いを馳せる。
 まだウォルトが若かりし頃、ウォルトは派手な事が苦手で社交場には滅多に顔を出さないレアな存在だった。
 そうしてあまり多く顔が知られていないのをいい事にふらりと城を抜け出ては散歩を楽しんでいたのだが、そこで偶然会ったのがオリヴィアだった。
 オリヴィアはウォルトとは対照的によく社交場に顔を出し、その美しさは蝶に例えられる程で、実際目にした事はなかったが噂は耳にしていた。噂通り美しい彼女に、思わず息を飲んだものだ。
 一目見て恋に落ちたウォルトは、社交シーズンとあって領地から出てきていたオリヴィアの元にその日から通い続けた。最初は全く相手にされなかったが次第に心を開いてくれるようになり、シーズンが終わる頃には結婚を前提とした交際を申し込み、了承の返事をもらえるまでになった。
 当時有頂天だったウォルトは、ついそれを両親にぽろりと零してしまう。
 社交場に出ず女の影が全くといってない息子に春が訪れた事に感動した当時の国王と王妃は舞い上がり、あっという間にオリヴィアとの結婚を決めてしまった。
 聞かされた時には驚いたものの、ウォルトにとっては嬉しい話なので嬉々として結婚の準備を進めた。それほど日取りまで時間がなかった為にオリヴィアに会う事もできなかったのだが、それでもすぐに会えると思えば何の事はなかった。
 しかし、問題はオリヴィアの方にあった。
 ちょっと変わった男との交際が始まった途端、見た事もない王子との結婚が勝手に決まったのだ。驚きを通り越してパニックだ。
 結婚を断ろうとすれば両親に泣きつかれ、相談したくても変わった恋人はそれ以来姿を見せない。そういえば男の素性を全くといって知らないと気付いた時には、後の祭りだった。
 困惑するオリヴィアを置いてあれよあれよという間に準備は整えられ、遂に結婚式の日が来ても、変わった恋人が姿を見せる事はなかった。と、思ったのだが。
 結婚式当日、何故かオリヴィアの隣に並んでいるのは、あの変わった恋人だった。
 幸せそうに表情を綻ばせて甘い声で自分を呼ぶ彼を前にして、オリヴィアの中で沸き起こったのは久しぶりに会えた恋人への愛しさではない。何も告げなかった事への怒りだった。
 お互いに面子がある為に式自体は完璧に終えたものの、その後一週間、ウォルトが顔すらあわせてもらえなかった事は城内では有名な話である。
「俺もその内言うつもりだったけど、あの時はもう両親から話がいっているものだと思ってたし……恋は盲目とはよく言ったものだよね」
「お黙りなさい。言い訳はもう聞き飽きました」
 ご機嫌をとろうと伸ばした手をオリヴィアにぴしゃりと撥ね退けられ、ウォルトは困ったように肩を竦めた。
 アリスンはといえば、いい歳した夫婦の辛いように見えて甘いやり取りに苦々しい顔をしている。
 そんな彼らの元にフィオナの意識が戻ったという知らせが届くのは、このすぐ後の事だった。
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