追跡と仮説

「すまない、どいてくれ!」
 群がる人の間を縫うようにして、ダレルは異臭を撒き散らすその残骸の前へと出た。
 エリオットの指示が下ってからおよそ三十分、さすが宮廷魔術師は仕事が早く、全六件の消火を瞬く間に終わらせた。
 その間にダレルは部下をあらゆる場所に配置し、決して誰も街の外へ出ないよう、街へ入らないよう目を光らせていたのだが、一人の宮廷魔術師が慌しく呼びにやってきたのだ。その内容を聞いた途端、体が勝手に駆け出していた。
 そうして辿り着いたのは、昔から顔馴染みの主人が一人で切り盛りする宿屋だった。
 ここ暫くは見ていなかったその建物は最早記憶に残る物とは別物でしかなく、容赦なく鼻を刺激する焦げ臭さに思わず眉を顰めた。
 消火が終わった今、特に被害を被っていない住人は野次馬と化し、宿屋からある程度の距離を保って遠巻きに見つめている。そんな野次馬の中から、治安部の者が近付かないように見張る中に飛び出したダレルを呼ぶ声があった。
「ダレル! こっちだ、こっち!」
「……カークおじさん?」
 ぶんぶか手を振りながら、なんとか近付いてくる男には覚えがある。幼い頃、街中を駆け回って遊んでいた自分達を『悪餓鬼共』と揶揄し、そのくせ時々気まぐれに自分の店で売っている果物をサービスしてくれた、八百屋の親父だ。
 親父は他に近所で同じく商売をしている者を数人つれ、ダレルの前までやってきた。止めようとする治安部に唾を散らしながら文句を言う様子はいつも通りだが、その顔色は心なしか悪い。
 嫌な予感を感じながら治安部を下がらせ、ダレルは親父達に向き合った。親父は唾を吐き捨て、苛立ち収まらぬ様子で僅かに背が高いダレルを見上げる。
「なあ、ダレル。フィオナを見てねえか?」
 親父の口から出たその名前に、心臓が僅かに強張った。
 つい眉を寄せるダレルを見つめ、親父の傍にいたパン屋の女がどこかおろおろとした様子で頬に手を当てる。
「治安部の奴らにも言ったんだけどね、宿屋が燃え始めた時にフィオナが来たのよ。まだ治安部もいなかったからあたしらで必死に消そうとしてさ、手伝ってくれって言ったらあの子、人がいるかもしれないからって中に入ってっちゃって……」
「……ああ、聞いた」
 だから今、こうして駆けつけたのだ。そう暗に伝えるダレルに親父達はそれぞれの顔を見合わせると、また一様にダレルを見た。
「あの馬鹿、消火が終わっても出てこねえんだよ。……その、死体はねえって言うしよ……あいつ、大丈夫だよな? 俺達が気付かねえ内に、また誰かを助けに行っちまっただけだよな?」
 懇願するように問いかける親父に、ダレルは何も言えなかった。
 苦笑を貼り付ける者、視線をそらす者、表情は多少違ってはいても、誰もが皆その目に不安と心配を滲ませている。
 いくらやんちゃが過ぎるお転婆娘でも、いくら困らされても、彼らにとってフィオナ・アルフォードはそう易々と見捨てられる娘ではなかった。
 それを痛いほど理解しているダレルは、だからこそ何も言えない自分が悔しく、人知れずきつく拳を握り締める。
 まるで鉛を飲み込んだような心地で親父達を見つめていると、また慌しくこちらへ駆けてくる足音が聞こえた。
「すみません! 通してください!」
 野次馬の中から聞こえるそれは切羽詰った響きがあり、普段からは考えられないほど力強い。
 声が聞こえる方を見ると、ちょうど野次馬をかき分ける桃色の髪が見えた。
「クラリッサ!」
「ダレルっ!」
 人混みから脱したクラリッサは、ダレルを見つけてすぐさま駆け寄ってくる。転んだりしないかという心配は余計だったようで、靴音を響かせながら傍まで来たクラリッサは全焼した宿屋を見て一瞬息を飲んだ。
 恐らく、ダレルと同じように誰からか話を聞いて駆けつけたのだろう。絶望の色を映した瞳は、しかし一度頭を振った後には力強く残骸を見据え、何も言わずにそれに近寄った。
 だが、ダレルにはそれが精一杯の強がりだとわかってしまった。
 そしてその強がりを貫く事こそが、現在自分達が持てる唯一の希望なのだとも気付いている。
 だからこそ何も言わず、彼女の後を追った。
 クラリッサは服が汚れる事も厭わず、燃え滓と水でぐちゃぐちゃになったその場に膝をつき、白い手で異臭を放つ木材に触れる。
 彼女の神経が研ぎ澄まされていくのを近くで感じながら、ダレルはそっと問いかけた。
「どうだ?」
「……ここも他と同じ、魔術の痕跡があるわ。発火の原因はやっぱりそれだけど……ここでは、他の魔術も使ったみたい……」
「他?」
「詳しくはまだわからないけれど……攻撃系の魔術と、遷移魔術」
 そう呟き、クラリッサがぐいと頬を黒くなった手で拭った。
 その仕種で彼女の表情を察したダレルは、胸が熱くなるのを感じながら彼女から視線をそらす。
 大きく攻撃系と回復系に分けられる魔術には、それに当てはまらない物もいくつか存在する。その代表が遷移魔術であり、その名の通り物体を移動させる類のものだ。
 そこから導き出される答えなど、最早一つしかない。
 クラリッサはすぐさま詠唱を始めた。僅かに残る魔力の軌跡を辿り、移動先を探そうとする。
 しかしまるで通せんぼをするかのように別の魔術が重ねて使われたようで、追跡を阻まれてしまった。
 魔石が破壊された事に引き続き、フィオナを守るどころか助ける力すらないのだと思い知らされるようで、クラリッサの頬を堪えきれない涙が伝う。
「どうしよう……どうしよう、ダレル……どうしたら……!」
 悲鳴のような声を上げて、クラリッサは肩を震わせる。
 ダレルは依然険しい表情のまま、彼女の頭を撫でた。
「大丈夫だ。あいつは無事だ。だから、必ず見つけ出そう」
 魔術で追えないなら、後は目撃証言を集めて地道に犯人を割り出し、移動先を予測するしかない。気が遠くなるようだったが、それしか道はないのだ。
 ダレルも自ら情報を集める為、すぐには動けないだろうクラリッサを置いて踵を返す。しかし振り返ったその先に思わぬ男を見つけ、つい足が止まった。
 彼はその宝石のような瞳を鋭く細め、睨みつけるようにして残骸を見据えている。
 何故ここに。それを問いかけるより早く、彼がダレルを呼んだ。
「ダレル、魔王はやはり恐ろしい化物だったか?」
「……は?」
 顎に手をあて、考えるように問いかけるエリオットに、ダレルは眉間に皺を刻んだ。
 どうしてこんな状況でそんな事を聞くのかわからない。大切な女が行方不明だというのに、旅の土産話など今更いらないだろう。
 苛立ち何も答えないダレルを気にする様子もなく、エリオットは再び問う。
「なら、勇者よりも強い者が現れるのと魔王が復活するの、どちらの確率が高いと思う?」
「――!」
 決して野次馬共には聞こえない声音で、しかし確信めいた響きを持つそれに、ダレルは大きく目を見開いた。クラリッサも弾かれたように振り返り、ただ瞠目してエリオットを見つめる。
 しかしバイオレットの瞳を見れば彼が言わんとしている事が嫌でも伝わり、二人は拳を握り締めた。互いに意見を交わさずとも、答えなど決まっている。
 二人の決意にも似たそれを感じ取ったのか、エリオットは不敵に笑った。
「――決まりだな」
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