魔王と勇者

 およそ五十年前、突如魔王は現れた。
 魔王はあっという間に自らのしもべである魔物を世界中に放ち、人間を襲った。
 人間はもちろん対抗したが、未知の相手に易々と勝てるほど強くはなかった。
 そう時間は経たない内に村が、そして街が攻められ、火の海となった所も少なくはない。
 一年程した頃、魔王は大海に浮かぶ島国を一つ滅ぼした。たった一晩の出来事だった。
 なんとか生き残った者が他国へ逃げ込み、その話が世界中に知らされる時には、魔王はその島に巨大な城を建てていた。
『我が世界を統べる。人間共よ、恐ろしければ我に逆らうな』
 圧倒的な力の差を見せ付けられた人間は、歯を噛み締めながらも何もする事ができなかった。
 魔王をどうにかするよりも、まずは魔物から村を、街を、国を守らなければならない。そうして大人しくなる様子のない魔物から身を守る為、一部勇敢な――この場合、無茶としか言いようのない人間を除いて、人々は魔物に怯えながら暮らす事になった。
 それからも、魔王の残酷非道な行為は繰り返された。
 魔王は人間を襲うだけでなく、時には城へ連れて行き、奴隷として過酷な労働を強いた。
 人間は歯ぎしりをしながら、ただひたすらに力をつけようとした。そうして魔王が現れてから四十年程が経ち、人間は魔物にも随分と対抗できるようになった。
 その頃から、魔王討伐の為に世界中を旅する者達が多くなった。
 彼らは俗に勇者と呼ばれ、人間は果敢に挑む彼らに希望を託した。
 一体どれだけの人間が勇者と呼ばれたのか。一体どれだけの勇者が志半ば力尽きたのか。それを知ることは最早不可能だ。
 それでも諦めずに幾人もの勇者が立ち向かい、人間はひたすら彼らが魔王を討つその日を夢見た。
 そんな中、突如訪れた異変に人々は困惑する。
 ある日突然、世界から魔物が消えたのだ。
 まるで靄のように消え去った異形の存在に何が起きたのかわからず、皆が皆戸惑いを浮かべる中、誰かがぽつりと言った。
 ――遂に、魔王が倒されたのだ。
 人間は歓喜した。
 魔王討伐の知らせはどこからともなく世界中に広まり、とある国が魔王の城に派遣した調査隊が確かに魔王が討たれたことを確認した。
 石造りの宮殿は凄まじい戦闘の爪跡を残し、主を失った玉座の間には、損傷が酷くあと一振りでもすれば折れてしまいそうな剣が残されていたという。
 人間は、その島に何人も立ち入ることを禁じた。
 魔王の恐ろしさを忘れない為に。――そして、誰も知らぬ真の勇者を称える為に。


  *


「ようこそ、勇者よ。――そして、おかえり」

 恭しく礼をしてみせた男の隠された顔が笑みを浮かべているのがわかり、フィオナはきつく男を睨みつけた。
 半年前、魔王と対峙した時の記憶は未だ鮮明に思い出すことができる。しかし、とても思い出したいと思えるようなものではなかった。
 祖国へ帰ってすぐの頃は、知り合いや親しくなった兵士らに旅での話を聞かせてくれと頼まれたこともあるが、フィオナは一度として戦いの話を聞かせたことはなかった。各地の美味しい食べ物や面白い風習など、恐らく彼らが期待している訳ではない話ばかりをした。
 それはただひたすらに、魔王という存在をできる限り自分の中から消し去りたいからだった。
 それなのにこの男は勝手に人を連れ去り、嫌でも記憶を引きずり出す。不快感と憤りで腹の奥が熱くなっていくのを感じた。
「お前、一体何者だ。私をこんな所に連れてきて、何が目的だ?」
 低く唸るように問いかけると、男は赤い瞳を細めて顔を覆う布に手をかける。
「俺の目的は、勇者と殺し合いをする事だ」
 くるくると巻いていた布が解かれ、少しずつ男の素顔が明らかになる。
 フィオナはただじっと、男を睨むように見据えていた。
「……あいつが死んで半年、苦労した。お前の情報は極端に少ない上にデマが多い。こうして見つけられたのは奇跡なんだろう。そういえば、お前の名はなんだ? 勇者よ」
「……フィオナ」
「フィオナか。なるほど、女らしい名だ」
 納得したように呟き、男は解き終わった布を床へ投げ捨てた。
 鋭い赤い双眸。濡羽色の髪。病的なほど白い肌。
 ともすれば女子が騒ぎ立てそうな程恐ろしく綺麗な顔立ちをしていたが、フィオナはぞくりと背筋が凍るのを感じた。
 見覚えはない。しかし、体が危険だと訴えるこの戦慄は知っている。
 動揺と警戒を滲ませたエメラルドの瞳に、男は満足げに口元を歪めた。
「俺の名はジャイルズ。――魔王の落胤だ」
 フィオナは耳を疑った。魔王に子供がいた事など、聞いた事もない。
 実際、この城には多くの魔物がいたが彼を見た事はない。
 第一、魔物は全て消滅したのだ。魔王の息子ならば同様に消滅してしかるべきだ。
 そんな彼女の思考を全て読み取ったように、男――ジャイルズは酷薄そうに笑う。
「魔王が奴隷の女を孕ませたんだ。つまり混血だ。人間の血のお陰で消滅せずに済んだんだろう」
「……復讐か? 父親を殺した私が憎いのか」
「まさか。憎いだろうに、魔王の子供をよく面倒見てくれた母親を殺されたなら復讐も考えるが、あいつは別だ。あいつは自分が一番だと信じて疑わないし、自分の後継なんぞ考えもしなかっただろう。証拠に、俺達が逃げ出しても何もしなかった」
 最期まで苦しみながら死んだ母の為に魔王を討ってやろうとした矢先、勇者が先に討ってしまった。そう言って、ジャイルズは冷笑を浮かべた。
「だから、お前には感謝はすれど復讐心を抱いてはいない。ただ、仇を奪われた気持ちは否定しない。こんな理由では勇者様は相手もしてくれないか?」
「……いや、馬鹿にしたりはしない。どんな理由であれ、こうして私を見つけ出したんだ。相当な決意だったんだろ」
 睨み付けていたフィオナが、ふっと張り詰めていた空気を緩める。警戒を解いた訳でもなければ、いつ攻撃されてもいいように右手は剣の柄を握っている。
 ついジャイルズが眉を寄せると、今度はフィオナが冷笑を浮かべた。
「お前は本当に、私が『世界を救うため』なんて崇高な志の下に魔王を倒したと思ってるのか? 私がそんな奴に見えるか?」
「……ある情報屋は、国王の命令だったと言っていたが」
 伯父さんか、とひとりごちる。そんな情報を知っている情報屋など、世界中にビルしかいないだろう。
 それでも、彼は本当のことを誰にも言わずにいてくれているのだ。その事に嬉しさと感謝の気持ちが込み上げ、同時に申し訳なさが募る。
「私は勇者なんて大層なもんじゃない。正義感も勇気も、何も持っていない。……私はただ、仇を殺した復讐者だ」
 ぴくり、と僅かにジャイルズが眉を上げる。
 怪訝そうな視線を受け止め、フィオナは自嘲じみた笑みを零した。
「――私の両親は、魔物に殺されたんだ」
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