捜索開始

 王城の東塔、最上階にある第一会議場。そこに集まった者達は皆険しい表情を浮かべ、議場には重苦しい空気が流れていた。
 本日は、定期的に行われる定例報告会が開かれる筈だった。そして特に大きな議題もなくそれぞれの管轄の報告だけが交わされ、お開きになる筈だったのだ。
 しかし、実際は違った。
 上質な木で作られたドーナツ型の円卓の中心にいる男は、冷汗のような物を滲ませながら膝をつき頭をたれている。
 本来この議場にいる筈のない男を見据え、エリオットはバイオレットの瞳を細めた。
「まだ消火活動も終わっていない内にここに来るとはいい度胸だ。それほど、迅速に伝えなければならない事があるんだろうな? ベケット治安部長」
 皮肉めいた言葉に男――治安部部長を務めるベケットは、僅かに唾を飲む。
 この街でいう治安部とは、そもそも王室とは関係のない、住民の自治組織のような物だ。国は資金の支援こそしているがそこに所属する人間と密接な関わりがある訳でもなく、国が直接命令する事も治安部が指示を扇ぐ事もない。
 故にベケットは今まで王城内に足を踏み入れた事もなければ、こうして王子の顔を間近で目にした事もなかった。
 緊張と焦りから、握った拳が湿っている。怖々と顔を上げる許可を貰い、ベケットは完全に萎縮しきった顔を上げた。
「……イロナ地区を始めとし、現在六箇所で原因不明の火災が起きており、治安部総出で消火活動にあたっております。しかし、何分現場と現場の距離も遠く、人員が足りません。更に被害が増える可能性もあります。ですから、人員をお貸し願いたいのです」
「それは勿論だ。いいな?」
 エリオットは、同じように円卓についているダレルとクラリッサに視線を投げる。国軍第一部隊隊長と宮廷魔術室室長は、力強く頷き返した。
 それにいくらか安堵の色を見せたベケットだったが、エリオットが先を促しているのに気付き、慌てて気を引き締める。
「火災の原因は不明ですが、住民の話によるとどこも皆、爆発音を聞いております。疑う余地もなく同一犯でしょうが……未だ犯人の特定にまで手が及ばず、テロかどうかすら不明です」
「しかし、爆発では家屋は吹き飛ぶ筈だろう。何故吹き飛ばずに燃えている」
 訝しげに問うのはアリスンだ。国王のウォルト同様今はあまり表立って動かないが、この異例事態に長く国王を支えている宰相として出席しているのだ。
 アリスンの蛙を睨み付ける蛇のような視線がベケットに刺さる。しかし、答えたのはベケットではなく、遠慮がちに手をあげたクラリッサだった。
「……そういう魔術が、あるにはあります。とても古いもので、最近ではあまり使われませんが……それほど高度な術でもないので、知ってさえいれば誰でも使えます」
「なら、犯人は魔術師か。魔術師なら、一人でもこの短時間でこれだけバラバラな場所で暴れる事も可能だろう」
 面倒だと言わんばかりに溜息を吐き、エリオットは頬杖をつく。
 犯人が捕まらない限り七件目ができる可能性も高いが、今はそれよりも既に起きている六件の消火が先だろう。これ以上燃え広がられるとダメージも大きい。
 ベケットもこれ以上報告はなさそうだと判断し、ダレルとクラリッサに指示を出そうとしたその時、ガンッと大きな音がし、重苦しい静寂を破った。
 弾かれたようにその場にいる全員の視線が、音が聞こえた方へ向かう。
 皆の注目が集まる中、クラリッサが呆然と立ち上がってどことも知れない遠くを見ていた。彼女の傍には、立ち上がった時に倒れたらしい椅子が転がっている。
「……クラリッサ?」
 隣に座るダレルがぐっと眉間に皺を寄せ、どこか気遣うように彼女の名を呼んだ。
 しかしクラリッサは返事をせず、誰とも視線を合わせないまま徐々にその顔を青ざめさせていく。テーブルの上についた手は小刻みに震え始め、只ならぬ様子にダレルが再びクラリッサを呼んだ。
 クラリッサは銀灰色の瞳にじわじわと涙を溜め、微かに唇を開く。
「……フィ、オナ……が……」
「……何?」
 彼女の口から零れ落ちたその名に、誰もが眉を寄せた。
 エリオットも例外ではない。僅かにその瞳に焦りを滲ませて、クラリッサを見据える。
 そんな中ダレルが立ち上がり、クラリッサの腕を掴んで無理矢理向かい合わせた。
 顔を覗き込めばようやくクラリッサはダレルと視線を絡め、くしゃりと顔を歪める。震える手は、縋りつくように彼の手を握り締めた。
「フィオナ、フィオナが……っ」
「クラリッサ、落ち着け。あいつがどうしたんだ?」
 子供をあやすように彼女の背をさするダレルも焦っている事は、誰の目から見ても明らかだった。
 クラリッサはぽろぽろと涙を流し、怯えるように首を振った。
「フィオナにあげた、ネックレスの魔石が、壊されたの……! 私の魔力を込めて、万が一襲われても魔術を弾き返せるように、していたのに……っ」
 思わず、エリオットは立ち上がった。先程のクラリッサのように机に手をついたまま、呆然と彼女を見つめる。
 気持ち悪い程に騒ぎ始めた心臓の音が、煩く耳に響く。落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせ、小さく息を吐いた。
 エリオットの傍に立つサイラスは今まで静観していたが、主人のその様子を見て、努めて落ち着いた声音でクラリッサを呼ぶ。
「クラリッサ殿、失礼ですがそれは本当ですか? 例えば何かにぶつけたりして、壊れたりは……」
「しません! 製法も私が独自に考えたもので、上級魔術にも耐えられるように……っ」
「それならば、その魔石を破壊したのはクラリッサ・ハーツホーンと同等、あるいはそれ以上の魔術師という事になりますな」
 アリスンの言葉にクラリッサが一際大きく震えると、彼女は一度頭を振って扉へと駆け出そうとした。しかし、それを腕を掴んだままのダレルが阻む。
 振り返ったクラリッサのどうしてと言いたげな瞳には何も答えず、ダレルは険しい面持ちでエリオットを見た。
「フィオナがどこへ行ったのか、ご存知ですよね?」
「……ああ。執務室から煙が見えて、すぐに飛び出していった」
 力無く答えたエリオットに、ダレルの視線が鋭さを増す。萌黄色の瞳には、怒りの炎が揺らめいていた。
「あいつが飛び出していって何もしない訳がないとご存知でしょう!? 何故行かせた!」
「止めたさ、一応な。だが、誰が止めてもあいつは行く。お前の方がよく知っているだろう?」
 そう言って、エリオットは自嘲めいた笑みを浮かべる。ダレルは歯を噛み締めた。
 知っている。それくらい知っている。エリオットを責めるのはお門違いだとわかってはいても、他にこの苛立ちを静める術が思いつかなかった。
 エリオットは一度きつく拳を握り締めると、ダレルとクラリッサを力強く見据える。
「フィオナは必ず消火現場のどこかにいる。それは間違いないんだ。なら、まずは消火が先だ。そうしなければ犯人の特定もできない」
「……」
「ダレルは道路を封鎖し、城下町から鼠一匹出すな。クラリッサは治安部と協力して消火、終わり次第フィオナの捜索。治安部は消火し終わったら情報収集にあたってくれ」
 エリオットの指示にダレルとクラリッサはそれぞれ何も言わずに頭を下げると、足早に議場を後にした。ベケットも慌てて彼らに続いて出て行く。
 彼らを見送ったエリオットは一度深く息を吐き、思い切り円卓に拳を叩きつけた。そうでもしなければ、己の中にある憤りや後悔が溢れ出してしまいそうだった。
 議場に大きく音を響かせて叩き付けられた拳は赤くなり、じんじんと熱と痛みを孕み始める。
 しかしエリオットはそれを気にした様子もなく、顔を上げると「行くぞ」とサイラスに声をかけ扉に向かって足早に歩き始めた。
「フィオナ・アルフォードを探しに行くおつもりですか、殿下」
 それを止めるのは、やはりアリスンだ。
「そのつもりだが、問題か?」
 一度足を止めたエリオットは、横目でアリスンを見る。バイオレットの瞳は鋭く、そこには彼の意志と決意が炎のように揺らめいていた。
 彼の瞳を一瞥すると、アリスンはそっと目を伏せる。
「――門限はフィオナ・アルフォードの行方がわかるまで、ですよ」
「侯爵……」
「陛下には私から伝えておきます」
 必ず止めに来ると思ったアリスンの予想外の言葉に、サイラスでさえも目を見張った。
 それでもアリスンは何も知らないというように目を伏せ、口元に薄く笑みを浮かべる。
「ほら、お急ぎにならなくても宜しいのですか? 折角得た『散歩の時間』がなくなってしまいますよ。勿体ないと、常々仰っていたでしょう」
「……感謝する」
 エリオットは静かにそう告げ、駆け出した。すぐさま後をサイラスが追う。
 鼓動は未だ気持ち悪い音を立て続け、どうしようもないほどの焦燥感を募らせる。
 掠れた声で呼んだ名が彼女に届かないという事実が、エリオットの胸を焦がした。
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