コーレの港町

 アルタ=ヒルデ王国は大陸にある六つの大国の一つであり、国の南側には海がある。
 海があるといっても、崖も多く浜辺や港は少ない。
 片手で数えられるだけしかないその中で最も活気があるのが、コーレという港町だ。
 町の西半分には漁業を生業とする漁師が集まり、毎日新鮮な魚介類がそこから国中へ出回っていく。
 そして東半分は他の大陸や島国との貿易の拠点で、様々な物と人が集まり、その賑わいは城下町に引けをとらない。
 そんな独特な雰囲気を漂わせる町並みを眺めながら、フィオナはとある酒場の前に立った。
 一見すると飲兵衛や、あるいはならず者の溜り場になりそうな、暗く薄汚れたその佇まいは、大通りから少し外れているとはいえ、品物や旅人を運んでくる船が多くとまっている港からすぐそこにあるには少し似合わない気もする。『幽霊』という錆び付いた看板にしては、それなりに客の声がするが、やはり小洒落た港からすると浮いていた。
 相変わらずだな、とフィオナはついつい苦笑を漏らし、店の扉を開ける。
 ギィ、とこれまたある意味店にぴったりな軋んだ音を立てながら中へ入れば、外観のイメージからすれば幾分明るい店内でやはり何人かの客が食事や酒を楽しんでいた。
「いらっしゃい。お嬢さん、お一人で?」
「いや、一応人探しなんだが……」
「おう、俺ならここにいるぜー?」
 カウンターに立っている熊のような店の主人に応えていると、割って入る男の声があった。
 くるりと店内を見回せば、こちらに向かってヒラヒラと手を振る男が一人。くるくるとうねる髪と無精髭がどうにもだらしがなさそうな印象を与えるその男は、端にある小さめのテーブルを陣取り、酒瓶を数本並べている。
 相変わらずだな、とフィオナはもう一度心中で呟き、苦笑しつつその男の所へ歩み寄った。
「やっぱりここにいると思った。久しぶりだな、伯父さん」
「ああ、久しぶりだな、フィオナ。お前が帰ってきた時以来だから、もう半年か? また別嬪になってよお」
「褒めたって何にも出ないぞ」
 クスクスと笑いながら、フィオナはあいたもう一つの席に腰を下ろした。
 男の名前はビル・アルフォード。フィオナの父親であるジェフの兄にあたる男だ。結婚を機に城下町へと越したジェフとは違い、五十を過ぎた今でも故郷のコーレで妻子と共に気ままに暮らしている。
 そういう訳で元々この港町とも縁があるフィオナだったが、実はそれだけではない。勇者として旅をしていた時も、度々この町に立ち寄ったのだ。
 大陸を出て他の大陸や島へ行く時、行き詰まりを感じて情報を集めていた時、この港町は過酷な旅をよくサポートしてくれた。
 勿論魔王を倒し帰国する際も、当然のようにコーレの港を利用した。その時にこの酒場でビルとも顔をあわせており、いわばビルは城下町の外でフィオナの素性を知る数少ない人物なのだ。
「それで、今回はなんでこの町に? また無茶振りか?」
「そんな所だ。ちょっと買出しを頼まれたんだ」
 先程ようやく買い終えた薬草や薬品達が入った袋を軽く持ち上げて見せると、酒の所為か僅かに赤らんだ顔でビルがくつくつと笑う。
「我らが王子殿下は本当におもしれーな。あの王子一筋のレヴァイン伯爵令嬢を追い出したんだって?」
「……相変わらず耳がいいな」
 アイリスの一件からそう時間が経った訳でもないのに、何故か随分昔の出来事のように感じてフィオナは苦笑した。
 あの頃はエリオットの事など適当にあしらえた筈なのだが、今は最近幸いにも出くわしていないアリスンの説教まがいの説得に何も言えないだろうと簡単に予想できた。
 エリオットはフィオナの事が好きだ。本当はずっと知っていて、目を背けていたそれ。
 だが、もうそろそろそれも限界だ。それは自分自身が一番わかっている。
 フィオナは溜息を吐き、主人が持ってきてくれたグラスに酒を注いだ。
「まあ、買出しを頼まれてちょうどよかったよ。ちょっと息抜きしたいと思ってたし」
「ほう。何かあったのか?」
「……何かあったというよりは、逃げ続けてきた事にぶつかってどうすればいいかわからない感じ、かな。ダレルもクラリッサも自分の道を歩めるのに、私にはその方法も自分がしたい事もわからないんだ」
 情けない話だろ、と自嘲を含んだ声で笑って、ぐいと酒を煽る。長居を前提としているからかそれ程アルコール度数の強くないそれは、帰りに馬を使う身としてもちょうどいい。
 何も言わないビルとはあえて視線をあわせず、フィオナはグラスの中で揺れる液体を見つめた。ゆらゆらと揺らめく透明の液体に、エメラルドの瞳が映りこみ一緒に揺れている。
 なあ伯父さん、と呼びかけた声は感情の読み取れないものだった。
「――愛って、なんだ?」
 ぽつりと、呟くような問いに、ビルが僅かに顔を歪める。
「フィオナ……」
「ごめん、さすがに伯父さんでも答えられないよな」
 ハッと思い出したように顔を上げて、フィオナが取り繕った笑みを貼り付ける。
 もう帰ると立ち上がる姪を何か言いたげに見つめていたビルだったが、その内何かを諦めたように溜息を吐き、グラスに残っていた酒を一気に飲み干した。
「フィオナ、俺が助けてやるなんてでかい事言えねえけどよ。話聞くくらいなら俺にだって出来るから、またいつでも来いよ。俺ァたいていここにいるから」
「……ああ、ありがとう」
「愚痴でも世間話でも、吐き出したい時は何べんでも来ればいい。しけた酒だが歓迎するぜ。情報提供ならもっと大歓迎だ」
 冗談めかして笑う伯父の気遣いにフィオナも笑みを零し、少しばかり代金を置いて立ち去った。
 相も変わらず凛とした背中が消えた扉を暫し見つめ、ビルは再びグラスに酒を注ぐ。
 ずっと傍にいた訳ではないが、幼い頃から知っているお転婆娘がああやって気落ちする姿は、少なからず胸を締め付けるものがある。
 何度か話した幼馴染の二人は彼女の支えともいえる存在だが、だからこそその支えが揺らいだ時、あの気丈な娘は呆気なく壊れてしまうだろう。
 その時、あの幼馴染達に彼女を温めてやる事ができるのか。あるいは、それができるだけの他の支えが彼女の傍にいるのか。
 それを思った時、いつも過去を懺悔したい気持ちになるが、恐らく過去に戻って人生をやり直した所で、自分には彼女を救ってやる事はできないだろう。
 世界を救った勇者様は、一体いつ救われるというのか。一体誰が救ってくれるのか。
「……情けないのはこっちだっての」
 ふっと自嘲の笑みを浮かべ酒を一息に煽ったビルの前に、ふと、一人の男が立った。
 簡素な衣を纏った旅人風の男に、ビルは「何か用かい?」とニヒルな笑みを向ける。
「やり手の情報屋がいると聞いたんだが、お前か?」
「くく、やり手かどうかは知らねえが、まあちっとばかし物知りではあるかな」
 新規の客へのいつも通りの対応をしてみせると、男は何も言わずに先程までフィオナが座っていた席に腰を下ろした。
 それを依頼と受け取り、ビルはゆらゆらとグラスを弄ぶ。
「それで? あんちゃん、お求めの情報は?」
 ニヤリと口元を歪めたビルの前に、男は静かに麻袋を出した。テーブルに置かれたそれからは、チャリンと硬質な音。
 一応とばかりに手を伸ばして中を確認してみると、結構な額の硬貨が詰められていた。
「勇者について。何でもいいから教えてくれ」
 淡々とした口調にビルは一瞬眉を顰めるも、これも仕事だと割り切る。
 王子殿下の緘口令は、極端に言えばフィオナを勇者だと明かさない事。勇者についての情報をいくらかバラすのは全く問題ない筈だ、と勝手な解釈をする。
 ビルはもう一口酒を呑み、芝居がかった口調で語り始めた。
 姪の無邪気な笑みを、思い浮かべながら。
「――昔々、人間が仲良く暮らしていた世界に、突如魔王と呼ばれる者が現れました」
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