勇者の憂い

 侍女や武官、文官、城で働いている様々な人が集まる場所といえば、食堂だ。
 ホールといっても差し支えないほどの広い空間。そこにずらりと並べられた計十人が同時に使える長机と長椅子は数十台にも及び、体力勝負の戦場である厨房では「格闘家ですよね?」と言いたくなるほどがたいが大きい男達が忙しそうに動き回っている。
 そんな広々としているんだか暑苦しいんだがよくわからない食堂には、今日も多くの人間が空腹を満たす為に集っていた。
 それは、朝から肉料理ばかりを注文しているフィオナも例外ではない。
 料理人達から何故そのこんがり焼けた豚のように太らないのか心底不思議がられているとは知らず、それらを順調に食べ進めながら、フィオナはどこか面白くなさそうな顔をして溜息を吐いた。
 不機嫌というよりは憂いているように見える勇者様に周囲の者達は若干戸惑いを見せるが、なんとなく声をかけづらい。
 人柄もよく明るい世界の英雄は、ここの所この調子だ。二十歳を過ぎた女性にこう言うのもなんだが、そろそろいつものように天真爛漫な笑みを見せてほしいとは思っても、たった半年の付き合いでは彼女が何故気落ちしているのかなど到底わかる筈もない。
 どうしたものかと互いに顔を見合わせている周囲など気にもとめず、無言でひたすら料理を口に運ぶフィオナの前に、突然サラダが現れた。
 両隣からにゅっと現れたそれに驚きつつ顔を上げると、やはりというかなんというか、呆れ顔の男と困り顔の女が揃ってフィオナを見下ろしていた。
「全くお前は……目を離すとすぐにこれだ」
「フィオナ、お野菜もちゃんと食べないと駄目よ。折角好き嫌いがないんだから」
 当然のように隣の空席に腰を下ろした幼馴染に、フィオナは「嫌いじゃないけど好きでもない」とぼやきつつもサラダをありがたく受け取った。
 長い付き合い上彼女の食べ物の好き嫌いなど熟知しているダレルとクラリッサは、溜息を吐いたり苦笑を零したりするものの、注意すればこうしてちゃんと食べるのだからそれ以上は何も言わない。
 しかし二人はそれぞれの朝食に手をつけながら一度視線を交わすと、しゃくしゃくと音を立てながら葉物を咀嚼するフィオナを見つめた。
「あのね、フィオナ。あまり口出ししたくはなかったのだけど、殿下と何かあったんでしょう? 私達で力になれるなら、教えてほしいの」
「……あったと言えばあったし、特に何もないとも言える」
「はあ……お前にとってはあったからその有様なんだろう」
 重々しく溜息を吐き出したダレルにその有様とはなんだと文句を言ってやりたくなるが、フィオナはぐっと押し黙るしかない。
 何かあれば口を出してくるこの幼馴染達だが、逆に何もなければ一切口は出さない。つまり、二人が口出しするほど酷い有様なのだろう。
 そこまで酷いつもりはなかったのだが、いつも通りかと聞かれればそれは否定せざるをえない。フィオナは頬杖をつきながら、そっと溜息を吐いた。
「なんて言うか、エリオットは私の事が好きらしいんだ」
「……えっと……みんな知っているわよ?」
 クラリッサが不思議そうに首を傾げる。
 ダレルにいたっては、ただでさえ皺が寄りやすい眉間に普段の倍は皺を刻んでいた。
 無意味にサラダをフォークでつつくフィオナはそれに気付かず、呟くように続ける。
「だから覚悟しろとは言われたんだが、いつも一緒にいてもしつこく迫ったりはしないし、特に身の危険もないし。あいつはなんだかんだ優しい奴だから、多分私の気持ちの整理がつくまで待ってくれると思う」
「……本当に何もされていないのか?」
「え? ああ、されてないよ。そんなに心配しなくても平気だって」
 難しい顔をしているダレルに「お前は心配性だな」とフィオナは能天気に笑うが、その後ろでクラリッサは苦笑するしかない。
 本当にこの子はどこまで鈍くなれば気が済むのか。喧嘩の感は驚くほど鋭いというのに。
 明らかに不機嫌になっていくダレルとそれに気付かないフィオナにほとほと困りながら、クラリッサは彼女に先を続けるよう促した。それを受けたフィオナは、思い出したように曖昧に笑う。
「だからまあ、一応考えてはいるんだ。エリオットは好きだし、このままあやふやにも出来ないからな」
 ――ああ……やっぱり私一人で声をかけるべきだったかしら……。
 泣く子も黙るほど不機嫌を滲み出しているダレルを見て、クラリッサは内心ひやひやだ。その原因であるフィオナがこちらを向いていて彼が視界に入っていないのは、果たして幸いと言うべきなのだろうか。
 判断しかねるまま、クラリッサは確かにそうだと相槌を打つ。どちらにせよ、フィオナがハッキリしなければエリオットもダレルも何も出来ないだろう。
 それが問題なんだと溜息を吐いた彼女に、クラリッサは眉尻を下げた。
「そういう事なら、やっぱり私達が口出しするべきじゃないわ。ごめんなさい。てっきり殿下と喧嘩でもしたのかと思ったの」
「いや、二人とも心配してくれてるんだろ? ありがとう」
 照れ臭そうに笑ったフィオナが、よしよしと褒めるようにクラリッサの頭を撫でる。泣き虫のクラリッサを褒めたり慰めたりする時、フィオナはいつも頭を撫でる。
 昔から変わらないそれにクラリッサが目を細めると、何かを振り切るように溜息を吐いたダレルがフィオナの頭をぽんぽんと撫でた。
「お前はすぐ、パンク寸前まで溜め込もうとする。すぐ近くにいるんだから、少しは俺達を頼れ」
「……そうだな。ありがとう、ダレル」
 へらりと浮かべられた笑みが彼女らしく、ダレルとクラリッサは彼女に気付かれないようにほっと息を吐く。
 密かに彼らのやり取りを見守っていた周囲の者達も同時に安堵の息を漏らし、食堂はまた賑やかな空気に包まれていった。
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