動き出す

 考えるのは向いていない。何度も幼馴染に聞かされてきた言葉だ。
 フィオナ自身もそう思っている。私は考えるのに向いていない。
 そう思っているからこそ、今まで彼の事を真剣に考えようとはしなかった。じわじわと追いつめられるような感覚を感じながらも、彼との事を考えようとしなかった。考えたくなかった。
 何も考えず、ただ気ままに過ごしていたかった。それは叶わない事だと知っているからこそ、強く望んでいた。


 キィン、と鉄がぶつかり合う音が響いた。
 鍛錬場の真ん中を陣取った男女が激しく切り結んでいる。
 一人は兵に与えられる鍛錬用の服を着ており、昨年国軍第二部隊隊長に任命された大男である。そして、もう一人はシャツと短パンというラフな格好をした金髪を持つ女だった。
 男が剣を振り下ろせば、女がすかさずかわして彼の脇腹へと蹴りを食らわせる。男は僅かに呻くがすぐに次の一撃を仕掛け、そうして長い間二人は攻防戦を繰り広げていた。
 しかし、その様子を見守る男達は決して彼らを互角だとは思っていなかった。
 汗を滝のように流し呼吸を乱した大男は、そろそろ疲れてきたのか足元がふらつき始めている。対する女は相変わらず軽い身のこなしで、真剣な表情に汗を浮かべてもその量は男と比べて少なかった。
「見ろよ、あの体格差……女の身でダドリー隊長を弄ぶのか……さすが勇者様だな」
「いや、それだけじゃないぞ。今日は何を思ったのか、両足首に鉛の入ったバンドをつけてるんだ。その状態であんなに剣振り回してよ……もうかれこれ一時間はやってるか。剣が木の枝か何かに見えてくるぜ」
 感嘆の声が零れるのを、ダレルは静かに聞いていた。
 気まぐれに鍛錬場にフィオナがやってきてから一時間が経つが、彼女は相手がへばればすぐに他の者と交代させて切り結び、ぶっ続けで動き回っている。
 ――……不機嫌だな。
 ただ相手を見据えて剣を振るう彼女を見て、そう思った。
 元々体を動かす事が好きな彼女ではあったが、旅路でならともかく、争いが起こる気配も暫くない今、これほどストイックに鍛錬をする理由が見つからない。そもそも彼女は兵士ではないのだから、鍛錬をした所で戦いに出る事すらないだろう。あの王子が許す筈がない。
 となれば、これはただの憂さ晴らしだ。何か気に食わない事があったか、あるいは難しい問題に直面したか。
 思わず溜息を吐くと、ズシリと肩に重みを感じた。弾かれたように横へ振り返れば、濃い藍色の髪が見える。
「……殿下」
「随分機嫌が悪いな。何かあったのか?」
 通路と鍛錬場とを隔てる塀を挟んで、エリオットが肩を組むようにしてダレルに圧し掛かっている。バイオレットの瞳は、未だ大男を攻め立てるフィオナを見つめていた。
 一瞬、その腕を振り払ってしまいたい衝動に駆られるが、ダレルはぐっと堪える。再び溜息を吐く事でやり過ごし、彼から視線を外した。
「どうせ、貴方が何かしたんでしょう」
「やっぱりバレたか」
「バレるも何も。今フィオナをあれ程悩ませるものがあるとすれば、私達か貴方ですから。クラリッサはまた元気になったし、私も何も問題はない。そうなると自然、原因は貴方になります」
 淡々とした口調で告げるダレルを、ちらりとエリオットが見遣る。
 その視線はやはり交わる事はなく、エリオットはにやりと笑みを浮かべた。
「あいつの憂いは全部排除してやりたい。そう考えて行動に移すのが、お前だろう」
「……殿下は違うんですか」
「俺はそう考えつつ見守るタイプだな。ギリギリまであいつに頑張らせて、助けを求められたら助けるさ」
 キィン、高い音が響く。
 確実に大男を追い詰めていくフィオナは誰から見ても凛と美しく、エリオットはつい苦笑を漏らした。
「お前は身内にはなんだかんだ甘い男だ。その反面、自分と他人には厳しい。だから、あいつもあんな風に育ったんだろうな」
 振り返ったダレルは、意味がわからないといった風に眉を寄せた。
 実際、わからなかった。何故たった半年しか付き合いのない男に、そんな事を言われなければならないのか。
 訝るような萌黄色の瞳をまっすぐに見据え、エリオットは小さく息を吐いた。
「……お前にも、一応宣言しておこう。あれは俺のものだ。俺はもう待つつもりはない。本気で奪いにいくから、覚悟しておけ」
 強くのたまったエリオットの意志がその瞳にしっかりと表れていて、ダレルはつい唾を飲んだ。
 ほぼ同時に鍛錬場の中央でドサリと大男が尻餅をつき、フィオナが切先を喉元に突きつけているのが視界の端で見えた。
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