宣言

 つんと口を尖らせてなにやら難しい顔をしている女を前に、エリオットは溜息を吐いた。
 街が騒ぎに騒いだ国王ならびに王妃の帰城から一夜経ち、王城でも普段通りの業務が滞りなく進められている。それはエリオットも同じで、母の説教を受けていた所為で溜まってしまった仕事を性急に片付けていた。
 そうしていると、昨晩閉門に間に合わずやむなく外泊をしたフィオナがやってきて、素直さが取り柄のお転婆娘らしく朝帰りになってしまった事をきちんと侘びにきた。
 元々エリオットもフィオナを追い出すような形で外へやったのだし、なるべく遅く帰れとも言ったのだからそれ程怒る事もなく、次からは気をつけるよう注意をするだけに止めた。
 そこまではいい。
 何故か、この勇者様は不機嫌らしいのだ。
 いや、不機嫌というよりは考え事をしているといった様子で、むうっと拗ねたような顔をしてソファの上で足を抱えている。今日は碌な休憩も取れそうにないエリオットとしてはこうして執務室に居座ってくれるのは有り難いのだが、これでは少々居心地が悪い。
 やむなく握っていた万年筆を置き、頬杖をついて彼女を見つめた。
「一体どうしたんだ? 勇者様。折角の可愛らしい顔が台無しだぞ」
「馬鹿にしてるようにしか聞こえないぞ、王子様」
 まるでむくれた子供のようにエリオットを睨みつけ、フィオナが唸る。
 苦笑して僅かに肩を竦めてみせると、彼女は抱えた膝の上に顎を乗せた。
「クラリッサの様子が変なんだ」
「クラリッサが?」
「ああ。最近すごく楽しそうにしてたのに、なんだか落ち込んでるみたいに見えて……廊下を歩く時も何かを気にしてるみたいなんだ。聞いても、何もないって言うし……」
 なるほど。やはり彼女の悩みの種は幼馴染の事なのか。
 仄かに嫉妬心を感じながら、エリオットはうんと頷く。
 心当たりがあるにはあった。唯一の側近である、サイラスだ。
 サイラスは昨晩あんなに荒れていたというのに、今朝からどうにも機嫌が良かった。にこにこと微笑む姿はいつも通りといえばいつも通りなのだが、長年の付き合いの所為で彼が少々浮かれているのに気付いてしまったのだ。
 滅多な事では気分が高揚しないあの男が、浮かれているなんて。
 気味が悪いものすら感じて何かあったのかと尋ねれば、自分の気持ちに幾分整理がついたのだと言う。気持ちが随分楽になったとも言っていた。そして、エリオットの言葉の意味もようやく理解したつもりだと、淡く苦笑を零したのがとても印象的であった。
 その時は安堵してそうかと答えるだけにし、何も詳しい事は聞かなかったのだが、こうなると恐らくクラリッサと何かあったのだろう。二人して同時に様子がおかしいのだ。間違いない。
 しかし、問題は二人の反応が異なっている事だ。
 怯えているようにも聞こえるクラリッサと浮かれているサイラスでは、反応が違いすぎる。一体、何があったというのだろう。
 そこで、ふと不思議に思った。この勇者様は、幼馴染の恋心に気付いているのだろうか。
 クラリッサの性格からして、いくら女同士の幼馴染といえど恋心を自ら打ち明ける事はできないだろう。ならば自分で気付くしか、それを知る術はない。
 フィオナに視線を戻すと、彼女はまだ膝の上でつんと唇を尖らせている。
「……なあ、フィオナ」
「んー」
「クラリッサに好きな男がいるって知ってるか?」
 言ってから直接的すぎたかと少しばかり後悔したが、彼女はドがつくほどの鈍感女なのだからこれくらいでちょうどいいだろう。
 目をまん丸にして振り向いたフィオナは確かにエリオットの問いの意味を正確に理解したようで、ぱくぱくと口を開閉させた。
「知らない! そんなの初耳だ! クラリッサが言ったのか?」
「いや、見てれば普通わかるぞ? お前は本当にそういった類に疎いな……いや、慣れていないのか?」
「だって今までそんな事は一度だって……いや、それはどうでもいい! クラリッサが恋をするなんて……相手はやっぱりダレルか?」
 それ以外に思いつかないといった表情で尋ねてくるフィオナに、エリオットは苦笑した。いくらなんでも、それを勝手に言い触らす事はできないだろう。
 フィオナもその事に気付いたのか、思いついたように「そうか、そうだな。ごめん」と呟いて膝を抱え直した。
「でも……なんだか変な気分だ」
「変?」
「あのクラリッサが恋をして、誰かと結婚したりするなんて、考えた事もなかった。ずっと私達は三人一緒で、年寄りになっても三人でいるんだと、なんとなく、そう思ってた」
 ぽつりぽつりと呟くフィオナに、ついつい苦笑が零れる。
 彼女らしいと思った。しかし同時に、そんな筈はないのに、とどこか哀れみに似た気持ちがじわりと染みた。
「人間なら誰でも恋くらいする。クラリッサもサイラスも、ダレルだって」
「まさか、ダレルも好きな女がいるのか?」
「ああ、いるさ。俺相手に喧嘩を吹っ掛けようとするくらい大切にしている女がな」
 静かな眼差しの中の明らかな敵意を思い出して苦く笑えば、少しも自分だとは思わないフィオナが寂しそうに肩を竦める。
「……私は、何にも知らないんだな」
 そう呟く声は小さく、本当に子供のようだった。
「フィオナ、忘れるなよ。俺も人間だ。俺だって恋をして、人間を愛するんだ」
「エリオット……?」
「俺はお前に恋をして、お前を愛している。俺が愛するのはフィオナ・アルフォード、お前なんだ」
 強くはっきりと宣言した時、びく、と細い肩が震えた。
 それには気付かないふりをして、エリオットはフィオナを見つめ続ける。
「俺に愛されてしまった以上、覚悟しろ。お前はいつか必ず俺のものになる。お前のペースに合わせてやる程俺はお人好しでもないし、余裕もない。俺に惚れさせてみせるから、覚悟しろ」
 にやり、薄い唇が不敵な笑みを形作る。
 それをじっと見つめながら、フィオナはそっと膝を抱える腕に力を込めた。
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