愛と依存

「貴方がそう仰るのなら、私は必ず『何でも出来る』男になります。だからどうか、私を貴方の傍に置いて頂けませんか」
 人の往来でそんな事を言う十三歳の少年を、五歳の少年は呆気に取られたように見つめていた。
 突飛な事を言っている自覚はあった。しかし、初めて見つけた光をどうしても手放したくはなかった。サイラスにとって、エリオットは最早希望に近いものだったのだ。
 エリオットは暫し考えるように視線を落とし、僅かに唸る。そうして再びサイラスを見つめる瞳は、どこか試すような色をしていた。
「それがお前のしたい事か? お前の意志に反してそんな万能人間に無理矢理なる必要はないんだ。お前はお前がしたい事を、好きな事を自由にすればいい」
「これが私の心からしたい事です。貴方のお傍にいたいと思ったのです。今すぐにとはとても言えませんが、いつか必ず貴方のお役に立ちます。だから、どうか」
 小さな手のひらを握って「どうか、どうか」と懇願するサイラスを迷惑そうにするでもなく、エリオットはただじっと年上の少年を見つめる。そうして少ししてから、彼は仕方がないとでも言いたげに肩を竦めた。
「なら、父上に我儘を聞いてもらってお前を従者にしよう」
「……!」
「俺の傍にいるのに必要だと思った事はいくらでもすればいいし、何か必要な物があれば用意させる。俺に仕える以上領地を離れて城で暮らす事になるが、いいんだな?」
 家族とは滅多に会えなくなるぞ、と言っているのがわかった。心優しい少年だと思いながら、サイラスは考える間もなく頷く。
 迷う必要などなかった。
 ――もし私が鳥ならば、押し込められていた籠は紛れもなくあの家なのだから。


  *


「――私には、殿下が必要です」
 静かな夜の庭園に、静かな男の声が落ちる。
 サイラスは、細く薄い手のひらをぎゅっと握りしめた。
「殿下がいらっしゃらなければ今の私は無い。私はあのお方がいるから、こうして息をする事ができるのです。私には殿下が必要不可欠で、殿下の傍にさえいられるのなら他に何もいりません」
 橙色の光に濡れた瞳が揺れている。それに気付いていながら閉じない己の口が恨めしくもあり、同時にほっとしていた。
 こうすれば、彼女はきっと諦めてくれる。おどおどと顔色を窺いながら離れていくだろう。自分よりも他人を優先しようとする彼女なら、尚更。
 そうすれば、今まで通りの平穏が戻ってくる。心をかき乱される事など無くなる。
 ――彼さえ、エリオットさえいれば他になにもなくても構わない。それが本心であり忠誠であった、少し前の自分に戻れる。
 そう安心したのに、たった一粒の雫が彼女の頬を滑った瞬間、そんな安心はどこかへ吹き飛んだ。
 大きな瞳一杯に涙を溜めたクラリッサが向けてくる眼差しは少しも傷付いておらず、ただひたすらに悲しい色をしていた。
「……やっぱり、貴方と私は似ています」
 ぽつり、か細い声が耳朶を揺らす。
 暗がりの中で目を見開いたサイラスは、無意識に体を強張らせた。
「自分に自信がなくて、人の反応を気にして、いつも怖いんです。だから、その恐怖から救ってくれた人が、大切で大切で堪らないんです。その人さえいれば怖くない。だけど、その人がいなければ恐怖に押し潰されてしまいそうで……貴方もそうなのでしょう? サイラス様」
 悲しい色をしたまま微笑む彼女は優しく、儚い。
 そうっと握り返された手のひらにじわりと体温が伝わってきて、そこで初めて自分の手のひらが酷く冷えていた事に気がついた。
 思わずくしゃりと顔を歪めたサイラスを見つめたまま、クラリッサは零れる涙を拭う事もせずにただ彼の手を握る。
「もし、フィオナとダレルがいなければ……そう考えた事は何度もあります。二人がいなければ私は弱いまま、強くなりたいとすら思えなかった。だから、私にとって二人は大切です。かけがえのない、愛すべき人。――だからこそ、二人に依存してはいけないんです」
 僅かに瞠目した秘色の瞳に、淡く微笑む。
 骨ばった手のひらは肉刺の所為でゴツゴツしていてお世辞にも綺麗とは言えないが、まるで宝物を包み込むようにクラリッサは彼の手を握る力を強めた。
「愛する事と依存する事は違うと、昔ダレルに教えてもらいました。自分達を大切に想うのなら、数え切れない程の愛する人の中で笑う私を見せてほしいと。自分達が傍にいない時でも決して一人で泣く事がないよう、たくさんの愛する人を作ってほしいと。そう、言われました。――きっと、殿下も同じ事をお考えなのではないですか?」
「殿下も……?」
「だって、大切な人を愛する事はとても幸せな気持ちになりませんか? きっとダレルと同じように、サイラス様にたくさん愛する人を作って幸せになってほしいと、殿下も願っていらっしゃいますわ」
 ふわり、とまるで花が咲くように微笑んだクラリッサ。ランタンに照らされたその笑みは美しく胸を打ち、サイラスは心臓の辺りが熱くなるのを感じた。
 どうにも答えがまとまらずに何も言えずにいると、その内クラリッサがハッとして、慌てて手を離した。
「も、申し訳ありません! 知ったような口をきいてしまって……これじゃあまるで、私を好きになれと言わんばかり……!」
 橙色の光でもわかるほど、クラリッサは顔を赤らめて狼狽する。
「けっ、決してそんなつもりはないんです! え、偉そうな口をきいて申し訳ありません! 本当にごめんなさい! ――っお、おやすみなさい!!」
 最早堪えきれなくなったのか、一方的に言葉を投げつけるだけ投げつけて、彼女は先程と同じように宿舎の方へと駆け出した。
 サイラスは、小さな背を今度は追いかけなかった。暗闇に消えていく背を見送り、ほうっと息を吐く。
 ――そうだろうか。決してお互いがお互いにとって不要だと言われた訳ではなく、必要だと思っているからこそ彼はああ言ったのだろうか。
 もしそうならば、どんなに嬉しいか。
「……ありがとうございます、クラリッサ殿」
 ふっと零れた笑みが偽りであるかなど、本当はとうに理解していた。
 静かに頭を下げたサイラスは、胸の奥があたたかくなるのを感じながらその場を後にした。
Copyright (c) 2012-2013 Ao kishibe All rights reserved.
 
inserted by FC2 system