一歩の踏み出し方

 城下町の巡回を終えたダレルは、王城内に入るなり小さく溜息を吐く。
 特別嫌いな訳ではないのだが、今日のようなお祭り騒ぎは少々苦手だった。恐らく幼い頃の思い出の所為だろうと思う。
 昔から、城下町に限らず近隣の街で行われる祭はいつも幼馴染と一緒だった。
 お転婆なフィオナと気弱なクラリッサを伴って人混みを歩くのは、正直骨が折れた。フィオナは色んな出店に目移りしてはすぐにあちらこちらに行ってしまうし、クラリッサは始終おどおどビクビクしていてこちらもこちらで目が離せない。
 そんな思い出があるからだろう、今でも祭を見かけると何もしなくても疲労感を感じる。
 それでも、祭りに行くのをやめようとは一度も思わなかった。出店を回ってはしゃぐフィオナも、見る物一つ一つに目を輝かせるクラリッサも、楽しそうな二人を見るだけで充分楽しめた。
 一番近所で行われていた祭にも、去年から行けていない。昨年一年間は魔王討伐の旅に出ており、半年前に帰ってきた時には既に祭は終わっていた。
 来年は行けるだろうか。少しの間くらいなら可能かもしれない。
 そんな事を考えていると、後ろから自分を呼ぶ声がした。
「ダレル!」
 飛んできたソプラノに振り返ると、桃色の髪を揺らしてクラリッサが駆けてくる。
 転ぶぞ、と声をかけようとしたのだが、それより先に彼女が躓いてよろけた。
 すぐさま駆け寄って、床にぶつかるギリギリの所で腹に腕を回してなんとか受け止める。
 何故何もない所で躓くのか。きっとこの謎は迷宮入りに違いない。
「ごめんなさい……ダレル、ありがとう」
「いや、それよりどうした? お前が駆け寄ってくるなんて珍しい」
 フィオナならまだしも、自分が鈍臭いと自覚しているクラリッサはあまり走らない。今のように転ぶからだ。
 不思議に思い首を傾げたダレルに、クラリッサはどこか不安そうに眉を下げる。
「明日は早く仕事が終えられそうだから、久しぶりに三人で夕食を食べたいと思って。先に約束をしておかないといけないでしょう? だから二人を探していたの。でも、フィオナが見つからなくて……」
「あいつなら、今日は城下町に行った筈だ。何時に戻るかはわからないが、閉門前には帰ってくるだろう」
「城下町? 陛下達がお帰りになったのに?」
 きょとん、とクラリッサは目を丸くした。
 どうやら本当に理由が思い当たらないらしい。彼女は毎日研究室にこもって日付など気にしない生活を送っているから、仕方がないかもしれない。
 そう納得する事にして、ダレルは僅かに肩を竦めた。
「ほら、今日は……」
「今日? ……ああ、そうね。わかったわ」
 眉を下げて苦笑した彼女を見れば、彼女が思いついたその理由が間違いではないと簡単にわかる。
 特に何も言わずに頷くと、クラリッサはますます苦笑を深めた。
「それなら、きっと私達の家にも寄るわね。お父さん達は元気かしら。デイジーさん達にも久しぶりに会いたいわ」
「そうだな。今日フィオナと一緒に行ければ良かったんだが、さすがにそうもいかなかったからな……」
 今頃、彼女はあの生まれ育った町にいるのだろう。
 それを考えるだけで、胸の奥がどこかじんわり温かくなる。しかし同時に、きゅうっと締め付けられるような心地になるのだから嫌になる。
 特に何事もなければいいが、とそこまで考えて、不意に柔らかい声がかけられた。
「おや。ダレル殿、クラリッサ殿、こんにちは」
「サっ、サイラス様!」
 目を真ん丸に見開いたクラリッサが、僅かに頬を染めながら慌てて挨拶を返す。それに続く形で礼をすると、サイラスは穏やかに目を細めた。
「ハミルトン殿、どうされました? 殿下はご一緒では?」
「いえ、殿下は今しがた王妃様のお説教から解放された所で、あんまりお疲れのご様子なので甘いお菓子を用意させようと思いまして」
 僅かに苦笑を零す側近は、確かに調理場へと向かうようだ。
 果たしてそれも側近の仕事なのだろうかと疑問に思っていると、クラリッサがハッと声を上げた。
「お、お菓子でしたら、今日フィオナにあげようと思っていた分が研究室にあります。もしそれでよければ、殿下に差し上げますけど……」
「それは助かります。殿下も貴女のお菓子は気に入ってらっしゃいますから」
「で、では、すぐに取ってきます!」
 慌てて駆け出したクラリッサの背中に、今度こそ「転ぶから気をつけろよ!」と声をかける。大きな声でしっかり返事をしたクラリッサは、廊下の角を曲がっていった。恋する乙女とは全く元気なものだ。
 ふう、とつい息を吐くと、サイラスがクスクスと笑みを零した。
「本当に、可愛らしい幼馴染がいらっしゃって羨ましいですね」
「貴方なら、可愛らしい女など選り取り見取りでしょう」
「おや、警戒されてしまいましたか? そんなつもりではなかったのですが」
 眉を下げて苦笑すると、彼の目元に小さな皺が入る。
 自分より十も年上のこの男は、やはり腹の中が見え辛い。主はもう少しわかりやすい性格をしているというのに。
 ダレルは思わず溜息を吐いた。
「あいつの気持ちはご存知でしょう。あいつはフィオナ並に嘘が下手だ」
「……ええ、まあ……告白までされてしまいましたから」
 僅かに目を見開いてしまったのは不可抗力だった。あの引っ込み思案な幼馴染が告白など、考えた事もない。
 何も言えずただ瞠目するダレルに、サイラスはますます苦笑を深めた。
「一度突き放してはみたのですが、諦めないと宣言されてしまったので……思っていたより、意志の強い方でした」
 細められた秘色の瞳には、どこか寂寥が浮かんでいるように見えた。そして、ほんの少しの慈愛。
 しかしダレルは見て見ぬふりをして、小さな背中が消えた廊下の角を見つめる。まだ他人にとやかく言えるほど、自分は何かをした事はなかった。
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