王妃の土産

 夕食を終えた頃、執務室に呼び出されたフィオナは、明日一日城下町で過ごすようにとエリオットに言われた。正確には朝食を食べてすぐに城を出て、閉門ギリギリに帰ってこい、と。
 普段ならどういう風の吹き回しだと訝る所だが、フィオナは何も言わずに頷いた。
 明日は国王と王妃が旅行から帰ってくる日だと、王城内は勿論、国民全員が知っている。恐らく、エリオットにとって何か不都合があるのだろう。
 女を両親に会わせたくない理由など疚しい事しか思いつかないが、フィオナには一切無関係である。フィオナ自身は何も疚しい事などない。
 しかしフィオナとしても、明日は少しの間でも城下町に行きたいと思っていたので好都合ではあった。やむなく外出は先送りにしようと思っていた所に下された、いわば命令に、従わない訳がなかった。
 そうして一夜経ち、朝食を終えて慌しい正門『花人の門』から一番遠い『歌人の門』から出ようとしていたフィオナは、首を捻った。
 何故、彼がここにいるのか。出迎える用意をしているのは『花人の門』の筈で、そもそも到着予定はもっと昼近くになってからではなかったのか。
 呆然としたままのフィオナを見つめた男は、なんでもないような顔で笑う。
「久し振りだな、勇者殿」
 よっと片手を上げたのは、まさしく国王陛下その人であった。


  *


「……随分お早いご到着ですね、母上」
 ぜえぜえと乱れた呼吸を整えながら、エリオットはなんとか悠然と佇む女を見つめた。
 エリオットの他にも出迎えをする筈であった者達は慌しく集まったが為に、息が上がり、気力でギリギリ礼をとっている状態だ。
 我が子の恨めしそうな視線など見ていないかのように、女はどこか懐かしむように王城を見上げ、再びエリオットに視線をやった。宝石のようなバイオレットの瞳が、可笑しそうに細められる。
「何を言うの、エリオット。昔から人を待たせるなと教えたでしょう」
「この場合は普通待たせるものでしょう! 第一、予定より一体何時間早いとお思いで……」
「あら、一刻も早く愛しい我が子に会いたいと思うのはいけない事かしら?」
 飄々とした態度で笑う女に、エリオットは堪らず舌打ちを零した。すぐさま鋭い視線で咎められるが、知った事ではない。
 アルタ=ヒルデ王国王妃、オリヴィア。伯爵令嬢であった彼女は聡明で、まさしくエリオットの母親だと思わせるに充分な横暴振りを発揮する。
 勿論民や家臣の反感を買うような事はしないのだが、自分に似ているからこそ、エリオットはよっぽど父親よりも厄介だと感じていた。
 そこで、はっと気付く。その父親の姿が見当たらない。
 途端に嫌な予感がし、背中に冷汗が浮かぶのがわかった。
「あの、母上? 父上は……」
「ふふ、まだまだねエリオット。貴方の考えなどお見通しだと、何度も言ったでしょう?」
 美しい顔が楽しげに笑みを浮かべるが、それを見たエリオットは元々強張っていた笑みをギクリと完全に固まらせた。
 考えるより先に体が動き、踵を返して城内――『歌人の門』へ向かおうと駆け出す。
 しかしすぐさま母の手が回り、息子の体を抱き締めるようにして引き止めた。
「エリオット、どこへ行くのかしら? 貴方にはこれからたっぷり土産話を聞いてもらわないと」
「何が土産話だ! どうせ説教だろう!」
「わかっているなら早くいらっしゃい。……それとも、女性の申し出を断り、腕を振り払うのかしら?」
 びくりと体が強張るのは、もはや条件反射だった。
 顔を青ざめたエリオットの脳裏に、幼き日々が蘇る。
 苛立ちに任せて侍女に八つ当たりをした日。貴婦人のきつい香水の匂いについ眉を顰めてしまった日。ダンスで相手の足を踏んでしまった日。
 どれもどぎついお仕置きと共に、女性への対応を何度も何度も叩き込まれた。そうして女性に対して愛想よくしている内に、こうして女誑しと呼ばれるまでになってしまったのだ。
 全ての原因はこの母親にあるといっても言いのだが、もはやトラウマじみた思い出の所為でこの歳になってもオリヴィアには強く出られなかった。
「本当は私が彼女とご一緒したかったのだけれど、ウォルトがあんまりやりたがったから……」
「……やはり、父上はフィオナに会いに行かれたのですか」
「ええ、勿論。……それに、ウォルトじゃあ叱るには少し優しすぎるものね」
 ふふ、と朗らかに微笑むオリヴィア。面倒な事になったとエリオットはつくづく思う。
 政務に関して叱られる事は何もない筈だが、アイリスの件を既に耳にしているに違いない。それについて一体何を言われるかなど、考えたくもなかった。
 しかし事実、自分に落ち度はあった。この母の事なのだからそれ以上のお叱りを受けるのだろうが、それも仕方がない事と受け止める他ない。
 ただ気掛かりなのは、フィオナと共にいるであろう父の事だった。
 ――くれぐれも余計なことは言ってくれるなよ……。
 オリヴィアになかば引きずられるようにして歩きながら、エリオットは溜息を吐いた。
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