侯爵の想い

「誠に申し訳ございませんが、エリオット殿下はご多忙であらせられます。どうぞ本日はお引き取りください」
 にこやかに笑みを浮かべた男を前に、明らかに勝負服と思われる煌びやかなドレスに身を包んだ女は何度か食い下がろうとしたものの、鉄壁を思わせるその微笑に遂に渋々といった様子で帰っていった。
 落胆と僅かな苛立ちの入り混じる背中を最後まで見送る事はせず、ふうと息を吐いた男はすぐに背後の扉を開け、中へと身を滑り込ませる。
 柔らかな日差しが差し込む窓を背にして席についている主は頬杖をつき、うんざりした様子で男を見遣った。
「最近の女は積極的すぎて品がないな。俺は淑やかな女がタイプだとでも噂を流すか」
「お言葉ですが殿下、フィオナ殿はとてもお淑やかとは言えません」
「あいつはタイプ以前の問題だ。好きなものは好きなんだから仕方がない」
 そもそも噂なのだから真実を流す必要もない。そう付け加え、エリオットは紅茶を一口啜った。
 ここ数日、妃最有力候補と噂であったアイリスが失脚し、これは好機だと今まで静観していた貴族の令嬢までもが押しかけてくるようになった。
 元々エリオットが『来る者拒まず』のスタンスを貫いていた為、財ある家柄の令嬢をはじめ多くの令嬢が彼に気に入られようと寄ってきては、決して拒まれず、ある程度受け止めてくれる彼にまた甘い期待を寄せる。
 今は駄目でも、いつかは。もちろんお遊びと割り切っている者もいる事はいるのだが、ほとんどの女はそんな期待を抱かずにはいられなかった。
 しかし何年も繰り返されたそれが、今になって少しずつ形を変えてきている。
「さすがは殿下。日を追う毎に、女払いに時間がかかっているようにお見受けしますが?」
「サイラスに言ってくれ、アリスン侯。そもそも、執務中だと言っているのに押しかける奴があるか」
「それでも今までは軽くお相手して差し上げたからでしょう。ここ最近誰の相手もなさらないと聞いて、焦っておいでなのでは? じきに、側近などの言葉では引き下がらなくなるかもしれませんね」
 クスクスと笑みを零しながら、サイラスは先程の令嬢にせめて渡してほしいと押し付けられた手土産の包みを開ける。そして視線だけをエリオットに向けると、彼は僅かに眉を顰めた。
 中身は美味しそうに焼けたパイだ。恐らく手作りだと思われる。押し問答の末に少し冷めてしまっていたが、美味には違いないだろう。
 しかしサイラスは主のその表情を見て、躊躇なくパイを傍にあった屑籠の中へ捨てた。中には既に何らかの菓子だったと思われるものが入っており、グシャリと潰れたパイに一瞥もくれる事無く、サイラスは空になったアリスンのティーカップに紅茶を注ぐ。
「……手土産が一度も殿下の口に入った事がないと知ったら、あの女共はどういう顔をするんでしょうね」
「知るか。毒入りかもしれん物を食う訳がない」
 呆れたように吐き捨てたエリオットは、立場上ある程度の毒には耐性を持っている。
 とはいえ、毒は毒だ。いくら耐性があっても大量に摂取すれば死んでしまうし、死にはせずとも体調を崩すのは必至だ。
 そうなれば、当然政務は滞ってしまう。そんな事で国民の不安を煽る訳にはいかないのだ。
 エリオットがケーキなど甘いものを好むと知って、どの令嬢もよく手土産を持ってくる。あんまりしつこい場合のみ、目の前でその女が食べてからやむなく口をつけるが、基本的に全て廃棄している。
 毒見をつけるなどという発想はない。いくら王族といえど、食べる必要のない物にまで毒見をさせて他人の命を危険に晒すなどエリオット自身が許せなかった。
 だから、口にする菓子は信用のおける者が作ったもののみと決めている。その筆頭である料理長が作ったケーキを口に運んでいると、「そういえば」と不意にアリスンが口を開いた。
「明日、陛下達が帰城なさるご予定でしょう。お出迎えの準備はもうよろしいのですか?」
「ああ……母上はともかく、父上は元々そういうのはお好きではない。警備を万全にし、総出で迎えれば問題ないだろう」
「……それは、あの娘も?」
 ちらり、切れ長の瞳がエリオットを見遣る。
 彼の言う『あの娘』など考えずともわかり、エリオットは堪らず溜息を吐いた。
「いや、フィオナは隠す。絶対に。あの馬鹿共、顔をあわせた途端何を言い出すかわかったもんじゃない」
「殿下、あんまりお口が過ぎますと王妃様に告げ口させていただきますよ。そもそも、フィオナ殿を隠し切るなど到底不可能です」
「今更告げ口された所で痛くも痒くもない。フィオナは明日一日あの馬鹿共に見つからなければいい。ちょうど、あいつも出かけたがるだろうしな」
 額に手をあてたまま、少しだけ自嘲めいた笑みを零すエリオットに、サイラスとアリスンは首を捻る。
「そのようにフィオナ殿が仰っていたのですか?」
「いや、何も言ってこないが……あいつは明日、城下町に行きたがるだろう。そのまま夜までブラブラさせればいい」
 どうやらエリオットは確信を持って言っているらしいが、その理由を言うつもりはないようだ。それをしっかりと理解した二人はそれ以上何も言わず、心中で息を吐くにとどめた。
 そろそろ仕事を再開させなければならない。アリスンは最後に紅茶を一口飲み、立ち上がる。
「殿下、最後の確認をさせていただきますが、本当にフィオナ・アルフォードで間違いないのですね?」
「くどい奴だな。ずっとそう言っているだろう。俺が愛しているのも、妃に望むのも、フィオナ・アルフォードただ一人だ」
「そのお言葉を聞けて安心いたしました」
 それでは、と礼をして立ち去ったアリスンは、扉を閉めてからフッと笑みを零した。
 何年もの間『来る者拒まず、去る者追わず』の姿勢を貫き、どんな美女だろうと一定の距離を保ち多くの令嬢を侍らせ、誰もが女誑しだと認識しているエリオット・クロムウェル。その男が未だに初恋の相手を思い続けているなど、誰が考えるだろう。
 幼い頃から家臣の中でも信頼されていたアリスンが何度も諦めるよう苦言を呈しても、彼は耳を傾けなかったのだ。ただひたすら一途な男だ。
 いつの間にか諦めさせることを諦めたアリスンは考える。
 どうにかして、彼の恋を進展させてやりたい。そしてできるなら、実らせてやりたい――と。
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