魔術師の恋
ひょこ、ぴょこ、ひょこ。
遠くの渡り廊下を行く金髪の女を見つめながら、クラリッサはクスリと笑みを零した。
――ひよこみたい……。
こちらには気付かずに足を引き摺りながら歩くフィオナは、その髪の所為もあって雛にしか見えない。笑っていいものではないと理解しながらも、ついつい頬が緩んでしまう。
昔から、フィオナは怪我の多い子供だった。
ある時は家の屋根から落下し全身打撲、またある時は木登りに失敗して骨を折った事もある。彼女自身が回復系の魔術を使えるお陰ですぐに完治してみせるものの、やはりすぐに怪我を作ってくるのが常だった。
中でも喧嘩で負傷する事が多く、その喧嘩の原因は殆どがクラリッサにあった。
彼女もまた昔から気が弱く、苛めっ子気質の子供には恰好の相手である。まさに、苛められっ子気質。
物を隠されたり髪を引っ張られたり、陰湿とまではいかないものの、子供らしい苛めの的だった。そんなクラリッサを守ってくれたのが、フィオナ達だった。
幼子の感覚では、決して近所に住んでいた訳ではない。保育所に預けられる事も多かったクラリッサとは違い、フィオナもダレルも保育所には通わず、お隣さんという事もあってかよく二人一緒にいたらしい。きっと擦れ違った事もない筈だ。
そんな折、二人がたまたま子供達に囲まれて泣いているクラリッサを見かけたのだ。
髪を引っ張る苛めっ子達をフィオナとダレルが追い払い、以来、二人はクラリッサが保育所から出てくるのを門の前で待つようになった。
それまでは憂鬱だった外出、保育所に通う事も嫌だったのに、二人の存在がクラリッサの毎日を変えた。
早く終われ、そう願うのは同じ筈なのに、心持は全然違った。必ず門の前で待ち伏せをしている二人に会える事が嬉しく、毎日が明るくなった。
それでも苛められっ子気質が治る事はなく、それからも子供らしい悪戯をされては泣いた。
その度にダレルが一応は穏便に済ませようとするのだが、フィオナがすぐに手を出してしまう。
そうやって喧嘩になって大人達に怒られる、それが彼女達の日常だった。
「……あ」
ぽろり、と零れ落ちた声。クラリッサはフィオナに駆け寄っていく男を見つめて、目を細める。
日常が少しだけ変わったのは、恐らくフィオナが魔王討伐を命じられた時だろう。
ダレルは王城での生活を楽しんではいるようでも、やはりフィオナの事を考えては良いようには思えないようだ。クラリッサ自身は決してそんなことはないと思っているのだが、どちらにしろ外野が口を出す事ではない。
小さく笑みを零して、改めて足を踏み出した時、こちらを見つめて微笑む男を見つけた。
ばっちりと目があってしまい、心臓が大きく脈打つ。
「サ、サイラス様! え、い、いつから……っ」
「殿下がフィオナ殿を見つけたあたり、でしょうか。あんまり幸せそうに眺めてらっしゃったので、声をかけるのが憚られて」
驚かせてしまいましたね、とサイラスは眉を下げて謝罪する。
それに慌てて首を振ると、クラリッサは資料を強く抱き締めた。
「殿下の傍に、いらっしゃらなくても宜しいんですか……?」
「ええ、少し休憩です。さすがに側近といえど、人の恋路の邪魔はいたしませんよ」
眩しそうに目を細めた彼が見つめる先には、勇者と王子がじゃれあっている穏やかな光景があるのだろう。
サイラスはまるで、大切な弟でも見るかのような優しい瞳でエリオットを見る事がある。今の眼差しもそうだ。とても優しい色をしている。
渡り廊下を見つめる彼を見て、クラリッサは更に腕に力を込めた。
「……サイラス、様は……なさらないのですか……」
「……私が? 恋をですか?」
か細く震えたソプラノをしっかりと拾い上げ、サイラスは彼女を見つめる。
俯き、恥らうように頬を染めたクラリッサ。心中で小さく息を吐いた。
「私は殿下のお世話で手一杯ですので。貴女もそうなのでしょう?」
「……え?」
「貴女が彼女達を愛するのと同じように、私の最優先事項は主です。他の誰よりも、何よりも大切なお方」
銀灰色の中で自分の姿が大きく揺らぐのを見つめ、側近は苦笑する。
優しく細められた瞳が、ぐさりと胸を突き刺した気がした。
「そんな私が、他に愛を囁くなど可笑しな話でしょう。結局は殿下より大切にできないと、わかっているのに」
「……そんな、こと……っ」
「クラリッサ殿、貴女はまだお若い。ゆっくりと考えて。決して、道を誤ってはいけませんよ」
俯き狭くなった視界の中、クラリッサは大きな手のひらが桃色の髪を撫でるのを見た。まるで波紋が広がるように、そこから世界が滲んでいく。
響く足音が遠のく度に、胸の痛みが酷くなるようで――彼女はきつく唇を噛み、嗚咽を殺した。
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