奇行のち和睦

 フィオナは狼狽していた。
 何故、こうも重苦しい空気に耐えなければならないのか。
 悶々と考えても答えは出ず、ただソファの上で肩を竦めていた。
 昨晩、足の具合を診た医師に全治二週間程度という診断を受けた後、ダレルに宿舎の自室まで運ばれた。「大人しく寝ろ」と幼馴染以外にも口喧しく言われ、フィオナもそれに従って寝た。
 そして今朝起きると、何故か隣にエリオットが寝ていた。しかもいつの間にか彼の寝室まで運ばれていたようで、例の如く抱き枕にされているのかと思えば、ただ手を繋いでいるだけで済んでいた。
 残念な事に、エリオットの奇行はこれに止まっていない。
 執務室で二人きりになっている現在、無言で黙々と執務をこなしているのである。
 元々聞く所によれば、彼は机仕事が嫌いな訳ではないらしい。遊びに出たり城を抜け出るのはちゃんと仕事に目処がついた時のみで、一国の主としての自覚は充分おありだとサイラスが自慢げに話していた。
 しかし、フィオナは思う。少なくとも彼女が傍にいる時はその休憩時間とやらであり、今は明らかに仕事中だ。だからといって、易々と帰してくれる雰囲気でもない。
 ――……いつもみたいにふざけてくれたら、ダレル達の所に行けるのに。
 サイラスが出してくれたお茶を啜り、ほうっと息を吐く。
 ――結局、礼言えてないし……。
 フィオナを襲った最初の一団は城下で窃盗などを繰り返し、二度目の男達は人身売買に手を染めた奴らだった。
 勿論どちらも捕縛し、それに手間取っている間に日が沈み昨日の帰還に至るのだが、それまではエリオットもいつも通りだった。それなのに一夜明けた今の彼は、とてもじゃないがいつも通りとは言えない。
 彼女に一瞥もくれずに無表情で書類と向き合っているエリオットを見つめ、フィオナは僅かにその身を縮めた。
「……まだ、怒ってるのか?」
 ぽつりと落とした呟きに、予想外にも彼の手が止まった。
 それに驚き思わずびくりと身を強張らせると、ゆっくりとエリオットが顔を上げる。
 その表情は、呆れと苛立ちを含んでいた。
「その理由もちゃんとわかるのか?」
「えっ、わ、私が、勝手な行動をしたからじゃないのか?」
「それはもう怒った」
 淡々と返される言葉に、フィオナは僅かに眉を寄せて考える。
 それ以外に何かしたのか記憶を辿るが、彼が怒りそうな事はやはり一人で何も言わずに出た事だけだ。さすがに上着一つで怒るような小さい男ではないことは既知なので、ますますわからない。
 難しい顔をして考え込んでしまったフィオナを見て、エリオットは小さく溜息を吐いた。
 そうして立ち上がって彼女が座るソファに近付くと、それに気付いた翠玉の瞳が不安げに彼を見上げる。そんな彼女の隣に腰掛け、エリオットは彼女の頬を撫でた。
「どうしてお前は怒らないんだ」
「……え?」
「アイリスも、この俺も。全部言っただろ。あいつが貴族の娘だからか? 俺が王子だからか? 俺に気を遣って、いつも通り振舞おうをしてるのか?」
 パシン、と乾いた音が響く。遅れて頬に広がる痛みに、エリオットは唇を噛み締めた。
 そんな彼をまっすぐに見据えて、フィオナは眉根を寄せる。
「そんな訳ないだろ」
 ――ああ、知ってたよ。
 頬を押さえて、エリオットは彼女の瞳を見つめた。力強い瞳は、ただその眼差しで彼を貫く。
「あの人の罠に気付かず嵌ったのは、この私だ。私にも責任がある。だから怒りは感じない」
「違うだろ、お前は……」
「エリオットを怒らないのは、お前がもう自分を責めているからだ」
 凛とした声に、バイオレットの瞳が見開いた。
 フィオナはそれでも、変わらずにハッキリと告げる。
「お前が、私の分もお前を怒ってくれた。だからもういい。私は、お前にただ感謝しているんだ」
「……フィ、オナ」
「エリオット、助けにきてくれてありがとう。上着を貸してくれてありがとう。自分の非を認め、打ち明けてくれてありがとう」
 照れ臭そうにはにかんだフィオナを見て、つくづく敵わないとエリオットは思う。日毎、いや彼女をこの目にする度に気持ちが大きく膨らんで、愛しさばかりを募らせる。
 輝く金の髪を梳いて、彼女を抱き締めた。
 びくりと体を強張らせた彼女が、不安げに呼ぶ自分の名が心地好い。
「お前はとことん馬鹿だな」
「む、なんだと馬鹿王子の癖に」
 僅かに伝わってくる振動から腕の中で彼女がどんな表情でいるかを想像して、エリオットはあたたかい充足感に笑みを零した。
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