幼馴染と側近

 穏やかな空気が流れる。この時期は日向に出るとあたたかく、過ごしやすい。
 澄んだ青空を見つめながら額に浮かんだ汗を拭ったダレルは、ほっと息を吐いた。
 そんな彼の耳に届く、使用人達の声。
くだんのアイリス様は王城に出入り禁止になったらしい。これで、あのレヴァイン家の妃の可能性は絶たれたな」
「そもそも、フィオナ殿がいる限り殿下は他に娶らないだろう」
「そのフィオナ殿も、アイリス様の事を知っても何も仰らなかったそうだな。むしろお陰でアイリス様が雇った悪党を捕まえる事ができたと、お礼を言ったそうだ」
「勇者様ともなると、お心も広いんだな」
 どこか誇らしげに語る使用人達の声に、ダレルはぐっと眉根を寄せる。
 昨日から、城内はこの話題で持ちきりだ。話が聞こえる度に、不快感が胸に込み上げる。
 違う、そうじゃない。そう心中で否定の言葉を繰り返した。
 ――フィオナは心が広いんじゃない。あいつは、ただ――
 そこまで考えて、彼の思考は唐突に途切れた。
 不意に口に突っ込まれた物の正体もよくわからないまま、一回、二回、と咀嚼する。
 少ししてそれがクッキーである事に気付き飲み込むと、いつの間にやら現れたクラリッサは満足げに微笑んだ。
「どうかしら? 今回は、ダレルが好きなククルの実を潰して入れてみたんだけど……」
「……ん、美味い。だが少しパサつきすぎだな」
「……やっぱり、そう思うわよね。どうしようかしら……」
 思案気な面持ちで呟いたクラリッサだったが、すぐにちらりとダレルに視線をやる。ダレルは眉間に深く皺を刻み、またしても考え込んでいるようだ。
 何年経とうと変わらない幼馴染にクスリと笑みを零して、クラリッサは彼の手をそっと握った。
「ダレルはフィオナに難しく考えるなって言うけれど、ダレルも考え事は向いてないわ。いつも感情任せに怒鳴るじゃない」
「……励まそうとしているのか怒らせたいのかどっちだ」
「えっ! お、怒らせたい訳なんてないじゃない……っ」
 頼りなさげに眉尻を下げたクラリッサに、ダレルは小さく息を吐く。
 彼女の言っている事は正しいと思う。しかし、これでは考え込まずにはいられない。
「お前はいいのか? もしこのまま、フィオナが流されたりしたら」
「それは私達が口を出す事ではないし、あの子は決して流されたりしないわ。フィオナが自分で決めた道を進む背中を見るのが、私は一等好きよ」
 眩しそうに細められた銀灰色の瞳には、ただ愛しさだけが浮かんでいる。
 何度も説教をした事があるのに、やはり彼女は大人だと実感させられる時がある。彼女に比べて幼稚な考えばかりが浮かぶ自分に嫌気が差しながら、ダレルはそれを吐き出すように深く溜息を零した。
 すると、近くの渡り廊下から二人を呼ぶ声がし、ダレルとクラリッサは揃って振り返る。
 声の主は柔らかく微笑んで、どこか申し訳なさそうに眉を下げた。
「突然申し訳ありません。水を差してしまいましたか?」
「いえ、お気になさらず。ハミルトン殿、どうなさいました?」
 僅かにダレルに隠れ気味のクラリッサをさして気にもとめず、ダレルが問いかける。
 するとサイラスは眉を下げ、やはり苦笑を浮かべた。
「フィオナ殿から言伝を頼まれました」
「言伝?」
「昼食をご一緒する約束だったそうですね。それが、彼女は殿下のお相手にてこずっておられて、行けそうにないとの事です」
 あからさまに眉間に皺を寄せた男としゅんと項垂れた女を見て、サイラスは最早謝罪を口にするしかない。そんな彼にダレルも仕方がないと口では言うものの、不満を持っているのは見て取れる。
 サイラスは僅かに目を細めて、彼らを見つめた。
「殿下は誤解されがちですが、ただ不器用なだけなのです。わかり辛い上に、他を巻き込んでしまう事もよくございます。それでも、殿下は不器用なりに頑張ってらっしゃいます」
「……あまりフォローに聞こえませんが?」
「フィオナ殿の事も、本当に大切にしていらっしゃるんですよ」
 穏やかな風が流れる。
 囀る鳥達が、平穏を喜ぶように歌う。
「ただ、方法がわからないだけ。殿下はずっと国ばかりを守っていらっしゃったから、人の守り方をご存知ないのです」
「だから、フィオナが傷ついても仕方がないと仰るのですか」
「いえ、そんなつもりはございません。私はただ知ってほしいのです。エリオット殿下は、ああ見えて脆いお方。何しろ、ご自分の身の守り方も学習してくださいませんから」
 苦笑を浮かべたサイラスが、それでは、と言い残して去っていく。
 その背中を見送って、ダレルは深く息を吐き出した。
「……あれは殿下しか眼中にないぞ。お前も苦労するな? クラリッサ」
「っえ、ええ!? ダ、ダレル、どうして……」
「見ればわかる」
 顔を赤らめてぱくぱくと口を開閉する幼馴染を横目に、ダレルは胸の奥に立ち込める靄をどうしてやりすごそうか考える事に専念した。
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