心地好い甘さ

 暖かい日の差し込む渡り廊下を、クラリッサはどこかご機嫌に歩いていた。
 その手にはピンクのリボンが目を引く可愛らしいラッピングの小袋を持ち、表情はまさに鼻歌でも歌いだしそうな程である。
 昨晩寝る前に、宿舎の共同で使っている調理場を借り、新作の焼き菓子を作ったのだ。勿論、彼女の大切な幼馴染の為に。
 そもそも幼馴染以外に菓子を贈れるほどまだ馴染めていないのだが、そこはクラリッサ自身も徐々に改善していこうとやる気だけは充分である。
 ――フィオナは美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐があるなあ。
 これを渡した時のことを想像すると、自然と笑みが零れる。
 昔からたとえ失敗した物でも嬉しそうに食べてくれたフィオナと、感想とお礼を簡潔に述べるダレルの分は勿論の事、今回は二人分追加してある。
 もしフィオナと一緒にエリオットがいれば、彼にだけ渡さないのは不自然だということでエリオットの分。それには彼女がお世話になっていますという意味も込めているのだが、フィオナに知られれば怒られてしまいそうなので黙っておくことにする。
 そしてもう一つが、エリオットの側近の分。これもまた、彼らと一緒にいるのに渡さないというのは失礼である、というのは言い訳だ。日頃お世話になっているというのも言い訳。
 人見知りを発揮して渡せない可能性の方が大きいというのに作ってしまった理由は、恐らくクラリッサ以外の人間は誰も知らないのだろう。
 それを考えると妙に緊張して、ほうっと自分を落ち着けるように息を吐く。
 すると、前方に会いたかったような会いたくなかったような人物を見つけ、クラリッサはビシリと身を固くした。
「……おや。こんにちは、クラリッサ殿」
「はっ、はい! ここ、こんにちは、サイラス様」
 緊張しきった面持ちの彼女を見て、サイラスは眉尻を下げ、彼女を安心させるようにそっと微笑む。
 サイラスを見上げながらも少しずつ少しずつ鼓動を静めていくクラリッサは、胸に手をあてて一度深呼吸をした。
 そんな彼女の手にある愛らしい小袋を見つけて、サイラスはクスクスと笑う。
「フィオナ殿達へのお菓子ですか? 評判はフィオナ殿から伺っておりますよ」
「えっ、いえ、そんなっ、私のお菓子なんてまだまだ……!」
「ふふ、そんなにご謙遜なさらなくても。フィオナ殿は『月草の回廊』、ダレル殿は『守人の門』でお見かけしましたよ」
 柔らかく微笑んだ彼にクラリッサは僅かに顔を赤らめて、どもってしまわないよう気をつけながら礼を述べて頭を下げた。そこまでしなくても、とまた彼が笑えば、更に頬に熱が集中する。
 どうすればいいのかわからないといった様子のクラリッサを見つめて、サイラスは僅かに眉を下げた。
「私は貴女より年上ではありますが、ただの王子の側近ですし。魔術室とは所属も違いますから、そう畏まった態度をとられる事も無いんですよ?」
「で、でも、私、尊敬してるんです。大切な人を、ちゃんと守れるのは、凄いことです」
「魔術室長にそう言って頂けるなんて光栄ですね」
 クスクスと笑みを零すサイラスに、クラリッサはそっと視線を逸らした。
「……わ、私、室長って言われても、研究しかしていませんし、その研究だって、自分が好きだからで……偉い事なんて、何も……」
 徐々に弱々しくなっていく声音に、秘色の瞳が僅かに見開く。クラリッサは彼からは顔すら窺えないほどに俯き、その細い肩を竦めた。
 昔から、周囲の親しい人間はよく褒めてくれる。聡明だとか手先が器用だとか、自分にとってはなんでもない事をしきりに褒めて、もっと自信を持てと言う。
 しかし、クラリッサはどうしても自信なんか持てない。持てる筈がない。
 いつだって大切な人に何か恩返しをと頑張るのに、その人の役に立てたと思った次にはまた迷惑をかけている。
 フィオナとダレルは特にそうだ。こんな自分とずっと一緒にいて、ただ笑ってくれている。
 自分の意志をしっかりと持って進む彼らを追いかけるのに一杯一杯で、たいしたことなんて全くしていない。
「……その好きな事で皆の役に立つというのは、とても素敵だと思います」
 ハッと顔を上げたクラリッサ。銀灰色の瞳に、朗らかな微笑が映る。
 サイラスは、子供に言い聞かせるように強く、しかし優しく、言う。
「フィオナ殿がいつも自慢なさっていますよ。貴女の作るお菓子は世界一だと。旅先でも、貴女の魔術に何度も助けられたと」
「……フィ、フィオナは優しいから……いつも、そう言います……」
「そうですね、彼女はお優しい。ですが魔術室の者も、貴女を尊敬していますよ。今まで考えた事も無いような発想で、新しい術式を熱心に考案なさっているとか。一緒に研究するのが楽しいとも言っていましたね」
 そんな事は初耳だ、と言わんばかりに瞠目する彼女に、サイラスはただ微笑んだ。その笑みに胸の奥があたたかくなっていくのを感じながら、クラリッサは小さく息を吐く。
 そして抱えた焼き菓子をきゅっと抱き締めると、まっすぐに彼を見つめた。
「サ、サイラス様。宜しければお一つ、貰ってはいただけないでしょうか」
「……私に、ですか?」
「は、はい。お口に合うか、わからないのですが……」
 また俯きがちになっていく彼女に笑みを一つ零して、サイラスは四つある内の一つをそっと受け取った。
 それを見て、銀灰色の瞳が喜びに輝く。サイラスはクスリと微笑んだ。
「ありがとうございます。後でゆっくり頂きますね」
「あ、ありがとうございますっ」
「ふふ、どうして貴女がお礼を?」
 からかうように笑う彼にクラリッサはまた顔を赤らめて、心地好い充足感に満たされていた。
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