王子と剣士

 ああ、面倒臭い。
 エリオットは、本日何度目かも知れない溜息を吐きだした。
 そういえば、今朝からあまり良い事が続いていない。今日は厄日なのかもしれないと考え、また改めて溜息を吐き出した。
 ――フィオナにもまだ会えていないし……ああ、面倒だ。
 ツカツカと廊下を歩みながら、彼は苛立たしげに舌打ちする。
 いつもならば、こうして仕事の合間にできた自由な時間は愛しい彼女の傍で過ごすのだが、どうやらそれは叶いそうにない。
 何故、折角の休息を無意味な事に費やさなければならないのだ。たとえ誰かにそう愚痴を零しても、自分の蒔いた種だろうと一蹴されてしまうだろう。
 それを考えてまた億劫な気分に陥っていると、廊下の向こうからやってくる男を見つけて思わず足を止めた。
 軍服を着崩すことなくビシリと身に纏った彼の周囲には、厳格な雰囲気が漂い、考え事でもしているのかその眉間には皺が刻まれている。彼が放つ雰囲気で彼を怖がる者もいるが、無表情もしくはしかめっ面しか見せない事が更に彼を怖がる要因にもなっているのだろう。
 そんな彼もまたエリオットの存在に気付き、一度足を止めて元から伸びている背筋を更に正した。
「久しぶりだな、ダレル」
「お久しぶりでございます、エリオット殿下」
「まあ、俺がなるべくお前を避けてるからな。ああクソ、本当に今日はついていない」
 苦い顔を作ったエリオットを見て、彼――ダレルは怪訝そうに眉根を寄せる。
 それもそうだ。彼自身には、王子に避けられるような事をした覚えは無い。
 何か失礼を働いた事があっただろうかと考えていると、それに気付いたエリオットがそうじゃないと首を振った。
「お前は俺が嫌いだろう。大切な“幼馴染”を誑かす俺が」
「……ああ……気付いてらっしゃったんですか」
「いつ説教をしてくるのかと、いつも冷や冷やしているよ」
 ふっと眉間の力を緩めて無表情になったダレルに、エリオットは肩を竦める。
 その仕種にまた、ダレルは眉を顰めた。
「殿下自身は嫌いな人種ではありません。ですが、フィオナに対する態度は気に入りません」
「俺はお前のそういう馬鹿正直な所をなかなか気に入っているんだがな」
「そうやってはぐらかすような言動も、気に食わない」
 ハッキリとした物言いで、ダレルは萌黄色の瞳を鋭く細める。
 それには怒りすら滲んでいるように見えて、エリオットはその双眸をまっすぐに見据えた。
「あいつを想ってくださるのなら、然るべき誠実な態度を示してください。でなければ私は認められません」
「それは幼馴染としてか? それとも、男として?」
 ぴくり、と彼の眉が上擦る。
 それに気付きながらもただじっと彼の答えを待っていると、ダレルは深く息を吐き出した。
「――どちらも。俺は幼馴染としても、女としても、フィオナが大切だ」
 簡潔で潔いその言葉が、胸の奥に突き刺さるような気がした。
 エリオットはふっと冷笑を浮かべて、「お前はいいな」と呟く。その意図をはかりかねるダレルはまたしてもぐっと眉を寄せ、彼を睨むように見据えた。
「俺はお前が羨ましいよ。あいつに好かれてる自信があって」
 その冷笑が自分ではなく彼自身に向けられているのだとダレルが理解した時には、既にエリオットは再び歩み始めていた。
 カツカツと響く自分の足音が、彼の苛立ちを増幅させる。
「……本当に欲しいものを手に入れるには、どうすればいいんだろうな」
 望んだものは大抵、何でもすぐに手に入った。
 王子として扱われる以上、当然のことなのかもしれないが、エリオットはそれが気に食わない。国王と王妃の間に生まれたというだけで特別待遇を受け、まるで自分が能無しのように思えてくる。だから幼い頃から滅多に何かをねだる事は無く、欲しいと思ったものは自分の力で手に入れた。
 それでもやはり“王子”という特別待遇が変わる訳ではなく、権力に目が眩んだ者がこれでもかと寄ってくる。貴族の娘は財力と整った容姿を持つエリオットに当然ご執心であるし、そうでなくてもその親は「是非我が娘を妃に」と娘を差し出しては言い寄ってくる。
 たとえ望まなくても、周囲が必要だと思うものは事前に用意されているのだ。なんて馬鹿馬鹿しい。
「殿下、お茶はいかがなさいますか?」
「いらない。あいつは果物が好きだから、今ある物を適当に出せ」
 あちらが気まぐれにやってきたのだから、もてなせなくてもこちらに非は無い。
 短く返事をして下がった侍女を一瞥して、エリオットは一つの扉を開ける。ソファとテーブル、あとはアンティークなどしかないその部屋は、一種の応接室のようなものだ。
 ソファに座っていた女は、入ってきたエリオットを見つめて目を細める。
「御機嫌よう、エリオット殿下」
「久し振りだな、アイリス」
 アイリスと呼ばれた女は、お淑やかに微笑んでみせた。ゆるく巻かれた藤色の髪が白い肌と合い、彼女の美貌をより強調している。
 エリオットは彼女の向かい側のソファに腰を下ろし、脚を組んだ。
「本日は殿下の為に美味しいパイを焼いてきましたの」
「どうせそれだけじゃないだろ?」
「ええ、勿論」
 悪びれた風でもなくただ微笑む彼女に、エリオットは無意識の内に溜息を吐く。
 ああ、面倒臭い。何度目か知れないそれを心中でぼやき、侍女が持ってきた果物に齧りついた。
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