抱き枕

 誰もが忙しく働き回る王城内で、フィオナはいつも暇を持て余している。
 フィオナのように、無職の者が他にここにいる筈がない。エリオットに小さな弟妹でもいれば遊び相手くらいにはなれたのだろうが、エリオットは正真正銘一人息子である。かといって、エリオットより年上の王族となるともう彼の両親の他におらず、その両親も二人揃って国外でのんびり旅行中だ。フィオナの暇に付き合ってくれる者などいない。
 それなら手伝いをすればいい。執務中はさすがにフィオナを放置するしかないエリオットが、以前そう言った。
 出会ったばかりの彼が知らないのも無理はないが、フィオナは予想を裏切らない不器用振りである。フィオナにギャップなど存在しない。がさつな性格に見合う不器用さんなのだ。
 そんな彼女が仮に侍女の手伝いをしたとして、一体いくつの高級な食器を割る事になるだろう。料理人、庭師、何かしら技術が求められるものは全てアウトだ。
 そして大前提であるが、フィオナには学が無い。執務その他諸々の手伝いもできる筈がなかった。
 よって、彼女の暇潰しはいつだって元気の有り余った兵士達だった。


「なんだ、もう終わりか?」
 周囲にぐでんとだらしなく転がる兵達を見下ろして、フィオナはつまらなさそうに呟く。今日も鍛錬場に赴き、今日こそはと意気込む男共を返り討ちにした所だ。
 屈強な兵はさすがに騎士道とやらを大切にしているらしく、絶対に一人の女に対して多勢で襲う等という卑怯な事はしない。たとえそれが、恐らく世界で一番強いだろうとされる勇者であってもだ。
 お陰でフィオナは怪我をする事もなければ、退屈凌ぎはあっという間に終わってしまう。もしここにちょうど良くダレルでもいれば話は別だったのだろうが、生憎彼は現在仕事中だ。
 鍛錬場と廊下を区切る塀に座って、フィオナは面白くなさそうに肩を竦めた。
「またこいつらをあっさり倒すとは。さすが勇者様だな」
 からかいを含んだ声音に、ハッと振り返る。それより先に、背後から伸びた腕が彼女を捕らえた。
 びく、と体を強張らせる彼女を見て、エリオットは愉快そうに喉で笑う。
「だが、あんまりお転婆なのも困りものだな。折角の体に傷が付くだろう」
「ば……っ、離せエリオット!」
 汗臭い上にベトベトの体を抱き締めるなんて、いよいよこの男が理解できない。
 もがくフィオナにくつくつと笑い、エリオットは彼女の体を軽々と抱き上げた。
 最早悲鳴すら上がらない。あっという間に塀を越えて廊下に下ろされると、「フィオナは持っていくからな」とだけ告げたエリオットに引かれるまま走り出す。
 フィオナは困惑した。
「ちょっ、エリオット!? お前、サイラスさんはどうした!」
「撒いてきた。執務室に篭りきりは体に良くないからな」
 側近の名前を出そうとあっさりそう答えたエリオットは、城の奥へ奥へと進んでいく。
 王城は広大な敷地面積を誇り、半年間いるフィオナもまだ全てを把握できてはいない。そして彼が向かう場所もフィオナは知らない所だったのだが、それもその筈、ここから先は王族が生活する区画、つまり普通ならば踏み入る事は許されない場所だ。
 それに気付いたフィオナはますます意味がわからない。昼間は執務に勤しむ筈のエリオットが何故ここへ来るのか、そして何故自分をつれているのか。
 幸い誰とも擦れ違うことなく、エリオットに一つの部屋に押し込まれる。誰にも気づかれなかったことが不幸だと気付いたのは、部屋の中を見回してからだった。
 豪華でありながら、決してごたごたにはならない装飾が至る所に施された部屋。その中心にある大きな寝台には、彼の髪と同じ黒みがかった藍色のシーツがかけられている。――まるで、この部屋の主を知らしめるように。
「エリオット? ここは――ひあっ!?」
 ぐるりと室内を見回した最後にエリオットを見つめた、筈だった。しかしその姿を見るより先に抱き抱えられ、寝台の上に落とされる。
 見た目通り柔らかなそれに体が少し弾むのを感じていると、まだ状況理解ができていないフィオナをエリオットが強く抱き締めた。
 やっぱりこれは危険なのでは……と思い至り、フィオナは彼を剥がしにかかる。しかしいくら力には自信があるといっても所詮男と女、本気で力を込められれば太刀打ちできない。
「エ、エリオット! 馬鹿、何やって」
「少しくらいいいだろ。次の鐘が鳴るまで、抱き枕になってくれ」
「……は?」
 きょとん、と翠玉の瞳が丸くなる。意味がわからない。欠伸を零す王子を呆然と見つめた。
 エリオットはそんな彼女を抱き締めたまま器用にシーツを被ると、未だ呆けた顔をしている彼女に薄く笑う。
「まさか、期待したのか?」
「っ馬鹿野郎!」
 数々の修羅場を潜り抜けた拳を鳩尾に喰らっても、決して腕を緩めないエリオット。そればかりか痛みに顔を顰めながら、更に彼女を抱き寄せた。
 男に囲まれやすい環境にいながら男慣れしていない彼女は、顔を赤らめ鋭く睨んでくる。
 それにすら愛しさを感じながら金色の髪を梳いてやり、エリオットはなだめるように微笑んだ。
「少し寝る。サイラスに見つかったら、鐘が鳴れば再開すると言ってくれ」
「は? お、おい……」
 ゆったりと瞼を閉じたエリオットに慌てて反論しようとしたものの、諌めるように腕の力が強まり、フィオナは閉口する。
 その上ぽつりと落ちた彼の低い声を聞いてしまえばもう、赤らんだ顔を見られないようその胸に顔を押し付けるしかなかった。
「――フィオナ、お前が足りないんだ」
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