復讐と命令

 微かに香る潮風。
 引きずり出されるのは、血生臭い記憶。

「私は、勇者なんかじゃない」

 フィオナは嘲るように吐き捨てた。
 旅に出る前も出た後も、誰かの為だなんて思った事はなかった。命を落とすかもしれない旅についてきた幼馴染の為にも頑張らなければと、それくらいは考えたが、とても他人の為に体を張るなんてできなかった。
 確かに命令だから仕方なく旅に出て、たまたま魔王を討った。だが、志など何も持ってはなかった。
 そればかりか、魔物と遭遇した時は憎しみばかりが頭の中を埋め尽くした。
 世界中で語られる『勇者様の話』の真実は、ただの両親を殺された女の復讐劇だ。なんて滑稽な話だろう。
「だから、お前の気持ちも少しくらいならわかるつもりだ」
 フィオナがまっすぐにジャイルズを見据える。いつの間にか自嘲の色は消え、エメラルドの瞳は強く彼女の意志がこめられているような気さえした。
「お前はやっぱり魔王を殺した私が憎いんだろ」
 赤い瞳が怪訝そうに細められる。
 馬鹿な事を言うなとでも言いたげな彼の視線をしっかりと受け止め、フィオナは立ち上がる。傍に転がされていた剣を持てば、彼の気が僅かに張り詰めるのがわかった。
「確かに魔王を憎んでるんだろうけど、少なからず情があったんじゃないのか? 昔、知り合いが言ってたんだ。どんな親でも、子供は縋らないと生きていけない。だから、完全に憎むなんてできないんだそうだ」
「詭弁だな。俺はあいつを親だとは一度も思った事がない」
「でも、きっとそっくりだよ。今のお前の顔、あの頃の私に」
 過酷な旅の途中、大切な幼馴染は幾度となく心配してくれた。たいした怪我もしていないのに、だ。
 その理由が、今ならわかる。あの時の自分は確かに平静ではなかった。
 四六時中気を張っていた訳ではないし、楽しい思い出がなかった訳でもない。
 しかし、嫌でも両親の事を思い出させる魔物との戦いは、精神的に辛いものがあった。きっと酷い面をしていた筈だ。
 今こうして彼を前にして、目は口ほどに物を言うとはこのことだろうと思う。彼の燃えるように赤い瞳には、確かに憎しみの炎が揺らめいている。
 暫し不快そうに眉を寄せていたジャイルズは、その内鼻で笑った。
「そうやって説得して、何もなかったかのように帰るつもりか?」
「いや、そんな真似はしない。私も故郷を荒らしたお前に恨みがある。このままただで帰らせるなんて、腹の虫がおさまらない」
 きつく男を睨みつけ、フィオナが剣を抜く。銀の刀身が光を受けて煌いた。
 鞘を放った彼女が構えるのを見て、ジャイルズも剣を抜き、構える。
 炎の中では崩れていたが、隙のない構えだ。剣を学んだ事がないとはいえ、そこはやはり数々の修羅場を潜り抜けた勇者ということだろう。
 僅かに口元に笑みを浮かべたジャイルズを見据え、フィオナは細く息を吐いた。
 静寂の中に穏やかな風が流れるが、空気だけは痛いほどに張り詰めていく。
 玉座の間を包む緊張が最高潮になった時、二人は同時に地面を蹴った。


  *


 いつになく慌しく人が行き来する王城。その廊下を、エリオットは足早に突き進む。
 彼の後ろにはサイラス、ダレル、クラリッサと続き、誰もが皆険しい表情をしていた。
 ――魔王という化物は、まさしく人智を超えた存在だった。
 勇者が魔王を討ったという事実を疑ったりはしない。
 しかし、まだ解明されていないような古の魔術で復活することができたら? そもそも、魔王も人間と同じように命が一つだと決め付けるのがおかしいのではないか?
 事実上世界で最も強いフィオナ・アルフォードを連れ去る事ができるとしたら、最早魔王以外の何者でもない。
 そう言ったエリオットの考えを、誰も否定する事はできなかった。彼女の強さを目のあたりにしてきた者達ならば、尚更だった。
「闇雲に捜すよりは可能性を辿る方がいい。魔王の城は不可侵とはいえ、今はどこの国の物でもない。大義名分がある以上、勝手に乗り込んだ所で文句は言わせん」
 エリオットは淡々とそう言い、ちらりと背後を見遣る。
「いくら勇者の仲間でも、現状二人だけを送り込む訳にもいかない。少なくとも兵士五名、魔術師三名、同行させてくれ。できるな?」
「はい」
 ダレルとクラリッサが感情を押し殺したような声で答えるのを聞き、前に向き直る。
 仮に本当に魔王が復活したとして、本当なら一部隊ほどの戦闘員を動員するべきなのだろうが、既にサリスフィアに援軍として送り、更に城下町でも消火は終わったとはいえ、混乱の残る街でしなくてはならない事は山ほどある。事態が事態とはいえ、あまり多くの人員をこちらに割く訳にもいかなかった。
 強く歯を噛み締めると、目の前に一人の男が立ちふさがった。
 ぴた、とエリオット達は足を止める。
 悠然と立つその男は、まさに今会いにいこうとしていた国王だった。
「ジェフリーから聞いたよ。その様子だと、フィオナの行方がわかったようだね」
「はい。今から小隊を編成し魔王城へ向かいます」
「わかった。だがエリオット、お前が行く事は許さない」
 ウォルトの珍しく強い語調に、エリオットは僅かに眉を寄せた。そんな息子を見て、ウォルトは呆れたように溜息を吐く。
 ダレルもクラリッサも、そしてエリオットも、なんとか地に足をつけている状態だというのは簡単にわかる。そして、彼らの気持ちも。
 しかし、国王として許せない事も確かにある。
「勇者が攫われたからといって、王子のお前が動く必要はない。お前は替えがきかない身だと充分知っている筈だ」
「……ですが行きます。父上、許可を」
「エリオット、聞き分けろ。お前が責任を感じるのもわかる、自ら行きたい気持ちもな。だが許可はしない。彼らに任せてお前はここに残れ」
「父上!」
 今にも掴みかかりそうなエリオットを前に、ウォルトは鋭く目を細めた。
 エリオットは強く父親を睨み付ける。
 彼の言葉が全て正論であることなど理解している。しかし、このままじっとしていられる訳がなかった。
 脳裏に蘇る記憶。こんな時でも思い浮かぶのは彼女の無邪気な表情で、胸が苦しいほどの熱を孕む。
「――これ以上、フィオナを魔王の事で傷つけていい訳ないだろう……!」
 顔を歪めたエリオットの声は、酷く掠れていた。
 指が皮膚に食い込むほど固く握り締めた拳が震える。
 ダレルとクラリッサが大きく目を見開く中、ウォルトはその拳を冷めた表情で見つめる。
「秘密なんか作るお前が悪いんだろう。そんな所まで、俺に似る必要はなかったのに」
「父上……っ」
「何を言おうが許可はしない。彼女の身を案じるなら、王子としてさっさと指示を出せ」
 取り付く島もないその態度に、エリオットは唇を噛んだ。
 悔しさと情けなさで昂ぶる感情を飲み込み、背後にいるダレル達へ言葉を向ける。
「……同行する者の人選はお前達に任せる。揃い次第、魔術で魔王城に向かえ。目的はフィオナの救出だ、無茶はするな。――全員、無事に帰還しろ」
 僅かに震えたその声を聞き、ダレルとクラリッサは静かに返事をするとすぐさま駆け出した。
 去り際に一度だけダレルは振り返ったが、見えた背中に背負っているものを知る事はできなかった。
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