その台詞

 ひょこ、ひょこ、ひょこ。
 すっかり悪化してしまった足を庇いながら歩く女を見つけて、クラリッサは目を細める。
 自分の所為だと思うとやはり胸が痛いが、それよりもまた彼女の笑顔が見られる事が嬉しかった。
 見られている事も気付かずに向かいの渡り廊下を歩いていた彼女が、何かを見つけてひらひらと軽く手を振る。彼女の視線の先を追うと、もう一人の幼馴染が呆れたように溜息を吐くのを見た。
 今回は彼の方だったか。眉間に皺を寄せながらも心配そうな顔をした彼を見つめ、そんな事を考えてつい笑みが零れた。
 ふと手のひらの中に大切に握ったものを思い出し、見失わないうちにと止まっていた足を動かす。すると、いつかのように自分を見つめて微笑む男がいた。
「っ、サ、サイラス様、こ、こんにちは……」
「はい、こんにちは。また驚かせてしまいましたね」
 苦笑を零すサイラスに、クラリッサは慌てて手と首を振る。
 書類を持っている所を見ると、休憩時間という訳ではないのだろう。とりあえず一礼して立ち去ろうとしたが、それより先にサイラスが静かに言った。
「貴女は、ダレル殿を応援しているのでしょうね」
 秘色の瞳が見つめる先には、先ほどまでクラリッサが見ていた二人がいるのだろう。
 呆然とした様子で呟いた彼に、クラリッサは僅かに視線を落とす。
「……いえ、ダレルは大切な幼馴染だから、頑張ってほしいという気持ちはあります。でも、それは殿下も同じです」
「……え?」
「私はフィオナに幸せになってほしい。フィオナを幸せにしてくれるのは、フィオナが選んだ人だけなんです。私が口出しすることじゃない」
 ずっと見守ってきた二人が結ばれたなら、もちろん嬉しいだろう。だけど本当にそこに二人の気持ちがなければ、それは無意味だ。他の人と結ばれても、それは同じ。
 大切なフィオナは、たくさんの人から愛されてほしい。いや、愛されるべき優しい人なのだ。フィオナを愛してくれる人にはみんな感謝の気持ちを伝えてまわりたいほど、彼女が愛されることが嬉しい。
 だからこそ、彼女には自分が愛した人と結ばれてほしい。優しい彼女はあまりにも自分を知らなさ過ぎる。その人から自分がどれだけ素敵な人なのかを知って、今以上の幸せがあることを知ってほしい。
 ――そのためには、まず私が変わらないと。
 もう、フィオナが心配しなくてもいいように。
「サイラス様」
 すっと顔をあげて、しっかりと彼の名前を呼ぶ。
 僅かに目を見開いた彼を見つめるのは怖いが、それを振り切るようにきゅっと手のひらを握りしめた。
「お慕いしております。私は道を誤ったなんて思っていません。これからも、思いません」
「……」
「サイラス様が私の事をそういう目で見ていないことは知っています。それでも、伝えたかったのです。いつか貴方に愛される人になれるよう、頑張ります」
 結局いつも自分には頑張ることしかできないけれど、できる事があるだけまだいい。
 暫く驚いたような顔をしていたサイラスが、その内ふっと苦笑を零す。
「……貴女は、思っていた以上に強い女性なのですね」
「……いつまでも、あの子に情けない姿ばかり見せてられないもの。強く、ならなくちゃ」
 眉を下げて笑って、クラリッサは静かに頭を下げた。そして向かいの廊下を目指して走り出す。
 振り返ったりしない。決意が揺らぎそうになる事は絶対にしない。今は彼女を探さなければ。
 もう既に見失ってしまった彼女は、今どこにいるだろう。擦れ違う人々が不思議そうな顔をしているが、構っている余裕はない。
 高い靴音を響かせながら走っていると、不意に自分を呼ぶ声がした。
「クラリッサ!」
 ぴた、と足が止まる。振り返ると、やはりひょこひょこと覚束ない足取りで歩く彼女と呆れ顔の彼がいて、自然と安堵の息が零れた。
 駆け寄れない彼女の代わりに自分から歩み寄れば、フィオナは「どうしたんだ?」と不思議そうに首を傾げる。
「フィオナを探していたのよ」
「私?」
 きょとん、と目を丸くした彼女に頷いてみせ、ずっと握っていた物を手渡した。
「……ネックレス?」
「フィオナの為に作ったの。万が一何かがあっても、フィオナを守ってくれるわ」
 フィオナの瞳と同じエメラルド色をした石は軽くではあるがシルバーで装飾が施されており、言われなければただのアクセサリーにしか見えない。むしろそのシンプルなデザインが、フィオナが身につけていても違和感を感じさせない。
 本当はお詫びのつもりで作ったものだが、それを言ってしまうと彼女は怒るだろうから何も言わず、ダレルにつけてもらっているフィオナを見つめる。
「どう? 似合う?」
「ええ、とっても」
「暴れて壊さないようにしろよ」
 しっかり注意するダレルに「大丈夫だって!」と能天気に笑ったフィオナが、そっと褒めるようにクラリッサの頭を撫でた。
「ありがとう、クラリッサ。大切にするからな」
 優しいその手のひらに、心から笑みが零れる。
 ありがとうは私の台詞なのに。それをさも当然のように言ってくれる彼女がやっぱり眩しくて、とても大切だ。
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