prologue
昔々、人間が仲良く暮らしていた世界に、突如魔王と呼ばれる者が現れました。
魔王はその強大な力で人間を捻じ伏せ、地上に城まで建てて踏ん反り返りました。
人々は魔王が世界中に放った魔物に怯え、村から村へ移動することにも危険が伴うようになりました。
そんな世界を救わんと、勇敢な志を持ったある一人の人間が、魔王を倒すべく立ち上がりました。
人間は志同じくする仲間と共に多くの魔物を斬り捨て、遂に魔王を倒しました。
世界に平和をもたらしたその人間は勇者と呼ばれ、人々は幸せに暮らしました。
――というのは表向き。世界で盛大に嘯かれている『勇者様のお話』。
確かにハッピーエンドでとても良い話には違いないが、この話の半分は大法螺さ。世界中の勇者様ファンを裏切るようで悪いがね。
あんたも知ってるだろうが、魔王が現れたのも、魔王や魔物に人間が怯えていたのも事実だ。こないだまで、街を出れば嫌でも魔物に出くわした。そうだろ?
だが、勇者様は決して崇高な志の下に冒険を始めた訳じゃなかった。
理由は簡単、命令だったからさ。
幼い頃から喧嘩が強かった勇者様は祖国ではそれなりに有名でね、「じゃあ、魔王も倒せるんじゃね?」という王子の言葉にそそのかされた国王が、勇者様に魔王討伐を命じたんだ。
まあ王子自身は軽い冗談のつもりだったんだろうけど、国王までそんなことを言い出せば大騒ぎさ。
さすがに国王に逆らう訳にもいかず、勇者様は必死の思いで仲間を募った。
どうせなら国民全員で乗り込みたいところだったが、そんな無謀なことに賛同する奴がいたらとっくに乗り込んでるわな。結局協力してくれたのは、昔馴染の魔術師と剣士の二人だけだった訳だ。
たった三人で世界中を巡り、情報を集め、各地に散った魔物と幹部達を倒していった。
快刀乱麻とは言えないが、よくやったと俺ァ思うよ。
勇者様は国王から与えられた税金で買った鎧や武器が、それこそボロボロになるまでの死闘を何度も潜り抜けたのさ。
そうして辿り着いた魔王城の魔物といったら、馬鹿かと怒鳴りたくなる程強かったらしい。魔王の前まで来た時には、既に疲労困憊だった。
それでもあらかじめ買っておいた疲労回復薬をフル活用し、いざ最終決戦!
……そう意気込んだまでは良かったんだがな。魔王はその強大な力故に、人間がこうして乗り込んでくるとは思っていなかったんだろうなァ。
城の中で怠慢を貪っていた魔王は、巷で流行のメタボだった。
となれば、のろくさくなった魔王が恐ろしいのは、いくらメタボでも衰えることのない魔力とそのでかい図体での体当たりのみだ。
勇者様ご一行は懸命に攻撃を避け続け、そうして魔王の魔力がほとんど底をついた時、勇者様は躊躇無く魔王を斬り捨てた。
これが本当の、『勇者様のお話』。
――ああ、そう不満そうな顔をするなよ。
結果として勇者様のお陰で世界は平和になったんだから、いいじゃねえか。とても聞こえが良いように世界じゃ語られてるが、噂はアテにならないって言うだろ。
え? じゃあその勇者様は、今どこで何をしているのかって?
さあ、どうだろう。風の便りに聞くと祖国に帰ったらしいが、本当かどうか俺にはわからねえな。持て囃されて高慢になったが故に反感を買い、既に殺されてしまったーなんて話も聞くしよ。
何? 他にもっと面白い話はないのかって……兄ちゃん、まさかとは思ったがあんたも勇者様ファンなのかい。
まあいいけどよ。
そうだな、じゃあコレは知ってるかい? 勇者様の性別。
いやいやいや、馬鹿にしてる訳じゃあねえよ。だが、よくよく思い出してみな? 世界で語られる『勇者様のお話』を。
性別なんて誰も語っちゃいないのに、みんな男だと思ってるだろう。面白くないか?
――勇者様は、まだ若い女だってのによ。
おっと、もうこんな時間だ。
最近帰りが遅くなると、浮気してるんじゃないのかって煩いんだ。悪いが、ここで話は終わりだ。
もしまた聞きたいならここに来ればいい。俺は大抵この店で飲んでるから。
じゃあな。
*
「――フィオナ!」
鮮やかな花々が咲き誇る庭の一角、水が芸術と化す噴水に腰かけた女の背に、弾んだ声がかけられた。
日光に輝く金糸のような髪を持つ彼女は、げんなりと眉を寄せる。
――……面倒臭いなあ。
そんなことを考えながら女が振り返るより先に、背後から回ってきた腕が彼女を捕まえた。びくりと身を強張らせた彼女に気分を良くしたのか、クスクスと笑う声が降ってくる。
女は溜息ひとつ零しつつ、首を動かして自分を捕まえた犯人を見上げた。
「……なんです、王子様」
「好きな女を見かけたから抱き締めただけだぞ、勇者様」
満足げに口元を歪めるのは、ここアルタ=ヒルデ王国の王子、エリオット・クロムウェル。怪訝そうな顔を作った彼女を覗き込むバイオレットの瞳は深く、まるで宝でも見るかのようにうっとりと細められる。
そんな彼の腕の中にいる彼女は、フィオナ・アルフォード。世界を救った、まさに人々が勇者と呼ぶ世界で唯一の存在だ。
フィオナは翠玉のような瞳を細め、エリオットの腕を無理矢理に引き剥がした。
力にはそれなりに自信がある。ムキになって力を込めることも無かった腕はすぐに離れ、しかしそれでも彼は不服そうに眉を寄せた。
しかしそれも、彼女の前ではすぐに消え失せる。ああ、そうだ、とまるで今思いついたかのようにぼやくと、フィオナの金髪を梳くように撫でた。
「これからケーキを食べるんだが、フィオナも来い」
「なんで」
「俺がそう言ったからだ」
命令だ、勇者様。
にたりと意地悪く笑う王子に、勇者はあからさまに顔を顰める。わざとらしいほどの溜息を吐き出して、「不味かったら殴るからな」と吐き捨て差し出された手を取った。
――これは、世界を救った勇者様と、勇者になるよう促した王子様のお話。
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